「三島由紀夫さんは会うたびに礼節を説いてきた」 横尾忠則が考える「礼節」と「霊性」の関係 (Yahoo NEWS)
私が横尾さんとお話をしたときに受け取った大切なことはまさに「「礼節」と「霊性」の関係」のことです。
礼節を大切にするからこそ、無礼に対して厳しく、だからこそ礼節とは何か、人として生きる上で大切なことは何か、霊性は何に宿るのか、いつも立ち止まって考えています。
●稲葉俊郎「ことばのくすり~感性を磨き、不安を和らげる33篇 」大和書房(2023年4月22日)
の中でも、書いています。
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何かの機会に三島さんが語った言葉だったと思いますが、現世で評価される作品ではなく、天で評価される作品を描くべきだ、とおっしゃったような気がします。自分を取り巻くこの現世での評価はチョロイというような意味に聞こえたと思います。現世で一番エライのは知性だと思っているが、そんな知性を超えた神の領域に属するような何か、それが霊性なんだろうか。とこんなことを日々、考えている時、現代仏教学の頂点をなす鈴木大拙の存在を知りました。
切っ掛けは禅でしたが、大拙の霊性の覚醒に触れた言葉の中で「霊性は知識人から始まらないで、無智愚鈍なるものの魂から」と、知性の否定をしており、むしろ無学の人間の方が霊性への途が開かれていると説いています。知識人は、その知性がさまたげになって、霊性がなかなか目覚めない。霊性は知性を超えたもので、思惟や認識になり得ない、むしろ知性の方から霊性に至る途は断絶しているというのです。
そして大拙は、霊性の自覚は理性的な判断をする分別を否定することによってのみ可能だというのです。また、日常生活は常に、霊性の上に営まれているもので、ここで三島さんの言う、日常生活における礼節の意味が見えてきます。この日常生活での礼節なくして、霊性は覚醒しないと言った三島さんの言葉がやっと僕の中で意味を成し始めるのです。
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