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「塩田千春 つながる私(アイ)」@大阪中之島美術館

大阪の近くを立ち寄った時に、大阪中之島美術館でのの大規模個展「塩田千春 つながる私(アイ)」を見てきた。






塩田千春さんは肉体で感じて表現する表現者だ。観念的ではないところが好きだ。

若い時のビデオ作品で、延々と浴槽で泥をかぶるすごい作品がある。

一見すると奇異を狙っているように見えるけれど、そうではない。


泥や土、水、そうした無機物を身体を通して感じ続けることで、そこでしか得られない感覚を得て、「無機物」としてではなく、そこに「いのち」を感じ、私たちがまだ見ていない風景を作品化するプロセスだ。

それはまるで修行者の行(ぎょう)のようなもの。滝を浴びる、山を歩く、極限まで行為を推し進めていく。厚い壁が破られ未知の空間が現出する。

すると。

そこでしか感じられない微細な感覚がある。

限界までリフレインする行為でしか到達できない特異な空間がある。

そうした特異点の異界から、彼女はこちらを見ている。



そうした塩田さんの作品は、観念的に頭で解釈するのではなく、まさに自分自身の体験のようにして追体験すると、塩田さんの魂の手触りまで感じられるようだ。




彼女は病気の経験を通して、病院で「モノ」のように自分が扱われたことに衝撃を受けた。

「モノ化」した自分の魂はどこにいったのか。魂はいまここにある。でも、病院の医療者は魂を見ようとはしない。むしろ見ることを避けて、モノ化することが一つの礼儀であり流儀であるように。

塩田さんは、そのことで逆に強く魂の存在を感じた。


そうしたプロセスは、私の体験と同じだ。

私も医療者として20年働きながら、身体をモノとして扱う現場に違和感を感じ続けながら、そこで引き裂かれるようにして働いていたが、今ふと医療現場から離れて、やっと深く息ができるようになった。

現代医学では、魂などという不気味な存在は扱わない。時計を修理するように、身体をモノ化して考えた方が、より効率的でスマートではないか。見えざる約束事がある。


そうした環境の中で、自分は医学を離陸して芸術の経路を迂回しながら魂の場所を通過しようとした。魂という言葉が宗教的な印象を受けるなら「いのち」と表現してもいい。


そうしたプロセスは、塩田千春の芸術活動と似たものを感じる。彼女の思いが充満した空間で佇みながら、深い場所で通路が通じ合って風が吹いてきたのを感じた。



塩田千春さんの作品は、時には狂気すら感じるものだ。

ただ、それは彼女が正気を保つために狂気を経由しているのだろう。

私も同じような経験がある。

医療現場で働いていると、自分がおかしくなりそうになるので、正気を保つために文章を書いたり絵を描いたりして、セルフケアをしているから。セルフケアの術は、私にとって医術ではなく芸術である。


「塩田千春 つながる私(アイ)」での、つながったのは、果たして誰と誰の「私(アイ)」なのか。それは鑑賞者によって異なるのだろうと思う。










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塩田千春 つながる私(アイ)

会期:2024年9月14日〜12月1日

会場:大阪中之島美術館 5階展示室

住所:大阪市北区中之島4-3-1



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