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『小学館新人コミック大賞』第92回入選『青年部門』「Loveless Heartless」西馬宗志さん

漫画家の方の友人はおりましたが、友人のお子さんが漫画家デビュー、というのはお初なので、ぜひ若き才能をお読みください。


『小学館新人コミック大賞』、第92回入選、『青年部門』の「Loveless Heartless」西馬宗志(愛知・21歳)(※ペンネーム)です。






彼が小さい時から知ってますが、感覚が鋭すぎるがゆえに生きにくそうでした。ただ、それは場によって短所にも長所にもなりえるもので、漫画家という場の中では溢れる才能でしかなく。映画と比べて、漫画はすべて一人で完結できる総合芸術です。


21歳の若者が何を感じて生きているのか。そうしたことがよく伝わってきて面白かったです。


特に幸福ということに関して、いろいろと感じさせられました。

幸福というのは、絶対的なものなのか、相対的なものなのか、ということに関して。


例えば、お風呂に入る時に「熱い」と皮膚感覚で感じますが、じきに体は馴れていきます。

熱さ(暑さ)や寒さの感覚は、つまり変化そのものを感覚なのだと思うんですよね。

では、幸福も似たようなものなのか?

つまり、他者から幸福そうに見えるお風呂に入っている当事者は、すでにそのぬるま湯に馴れてしまい、幸福とは感じられないのかもしれない。内なる幸福も内なる不幸も外からは見に見えないもので。



幸福が、変化や落差から感じられる感覚だとすれば、不幸と感じられる時点でそれは幸福との落差であり、幸福感との比較があるだけ幸福な不幸なのか。あらゆる物事に不幸も幸福も感じられないとすれば、それはどういう状況なのか。幸福という体験そのものがない(物差しがない)場合、幸福はどう位置づけられるのか?


わたしは、生きているだけで幸福だ、と感じることが定期的にあります。それは自分自身の臨死体験のような記憶(幼少期)がひとつの参照点になっているのですが(死の世界から見た生の世界)、それもやはり、そうした感覚の物差しがあるからこそ、なのかもしれず。


モノサシがない場合、幸福の内なる基準はどこにあるのだろうか。それは先天的なものなのか、後天的に獲得するものなのか・・・・。



そうした哲学的なテーマを悶々と考えながら表現能力にも感心しながら読みました。


現代生きる若者の感性がここに込められているととすれば、世代を越えて互いを理解し合うことこそが未来であり、哲学対話的な漫画だなぁとも。


日常の風景を舞台にして、漫画表現にシンプルに落とし込んでいるところが、巨匠漫画家の評者も深さを感じて素直にすごい、と感じたのだろうとと思いますね。長編化されていったとき、ドキドキしながら読みそうです。


漫画の中で、「写真」が、自分自身を客観化・客体化するものとして出ていることも面白いと思いました。ディストピアな未来では、監視カメラやAIがその役割を果たしうる可能性もありそうですが(ジョージ・オーウェル「1984」のテーマ)、古代社会では太陽(お天道様)や星、死者(祖先)などがその役割を果たしていたと思います。 自分を客体化する視点は心理療法でも悩みや苦しみから距離を置くためにも重要なことであって、距離が取れれば問題は解決していなくても解消することがあり、そうした距離をはかる助け役として写真が出ているのも、面白いと思いました。


プロの漫画家デビューするのかどうか含め、今後が楽しみです。


他の作品もすべて読みましたが熱き思いが存分に込められていて泣けるものばかり。読み手に不思議な通路を介して熱が伝わってきます。

ぜひ若き感性をお読みください~。

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