何必館・京都現代美術館
京都の何必館・京都現代美術館に。八坂神社のすぐ近く。
写真展「ドアノーの愛したパリ ROBERT DOISNEAU 展」を見る。
現在のパリっ子が見ても、ノスタルジーを感じる古きパリ。生々しい人間がぶつかりあうようにたくましく生きている様を、ユーモア交えた視点で切り取る等身大の写真家。ピカソの手がパンになってる有名な写真はドアノーだったのかと初めて知った。
ブラックやジャコメッティのアトリエの写真は初めて見た。いい写真家にしか見せてくれない創作の秘密の場。
村上華岳の太子樹下禅那図。瞑想する聖徳太子。こちらも意識が呼応して変容する。霊力に満ちた絵。
今回、改めて驚いたのが、北大路魯山人がスーパーマルチアーティストだったこと。
書からはじまり、器や立体、篆刻など、あらゆる作品を激しさや繊細さで作り続けた人だったとは。器以外の作品はあまり知らなかったが、すごくいいものばかりだった。彼は目利きでもあり、そのセンスの良さが作品に乗り移っている。今後、あまり先入観にとらわれずに魯山人の作品を追ってみたいと思った。大きな学び。
美術館で一番驚いて感動したのが、5階にある光庭。
天井に穴をあけて、雨も雪も降るようにして、そこに紅葉と苔がある。変化し成長する自然物が作品のように鎮座し、石も静かに存在を主張するかのように布置を描く。しかも、1面はガラスがなく、5階の空間に天から風が吹いてくる空間構成にも驚いた。刻々と変化する光と影が、自然の彫刻する風景作品として、人間と自然とが分離せずひとつにある作品空間。
1981年に開館しているので、40年近く前にこうした建築空間を作っている先見性にも驚く。
苔が地球だとすると、宇宙に向いて咲く宇宙樹のようなイメージが湧いた。
天に空いた穴は光に満ちた天国の入口なのか。
死んだ後、人は行きたいところに向かう。
想念や思いが、そのまま現実化するとしたら、自分はこの世界をまるごと肯定して、Yesと言って死にたいし、どんなに小さな中にも幸福や光を見出しながら生きていきたい。
何必館(かひつかん)という不思議な名前は、われわれが持っている先入観や偏見を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由な精神を大切にする、ことから命名された造語。英語では、「everything is subject to doubt」と表現するとのことだ。
私も常に偏見や先入観から自由になりたいと思い続けているし、常に流動の層に身を置きたいと思っている。
温泉を介して水に注目しているのは、そうした老子の心境にも近い。
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「上善若水」(老子第8章)
老子『上善は水の如し、水は善く万物を利して争わず』
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芸術は初心に戻るためにも重要な心の装置であると思う。
ぜひ京都に行ったとき、静かなひとときをつくるために訪れてみてください。
ふっと深呼吸できる静謐で素敵な聖域のような場所でした。
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