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沈黙と測りあえるほどに

夜中、大雪の中でお看取りに。 自然界が大きく変化するとき、人の生命や心も、そうした現象と呼応しているのを感じながら。


夜中、静寂の病院に立ち寄ると、木や植物同士がこそこそお喋りしているような気がした。 人間の喧騒で溢れた中で、静寂だからこそあらゆる生命の存在が浮き出てくるかのように。


夜中に、武満徹が「音、沈黙と測りあえるほどに」と書いているのはこういうことだろうか、と思いながら。








================= 武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社(1971年) ================= 『ぼくは発音する音楽をつくりたいのです。 吃りだったからそんなことを言っていると思われるかもしれませんが、 それもありますが、それよりも、どんな石にも樹にも、波にも草にも発音させたいのです。 ぼくはそれを耳を澄まして聴きたいだけなのです。 ぼくの音楽があるのではなく、音楽のようなぼくがそこにいれば、それでいいのです。』 ================= 『私は音楽と自然のかかわりについて、いつも考えているが、それは自然の風景を描写するということではない。 私は時として人間のいない自然風景に深くうたれるし、それが音楽する契機ともなる。 しかし、みみっちくうす汚れた人間の生活というものを忘れることはできない。 私は自然と人間を相対するものとしては考えられない。

私は生きることに自然な自然さというもを尊びたい。それを〈自然〉と呼びたい。 これは奥の細道に遁れるような行為とは大きく矛盾するのである。 私が創るうえで、自然な行為というのは現実との交渉ということでしかない。 芸術は現実との沸騰的な交渉ののちにうまれるものだ。』 =================




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