寺田寅彦「頭がよくて頭がわるい」
科学や医学の行く末を、色々、悶々と考えている。
1900年くらいにX線が発見された。ほんの100年で人類はここまで進んだ。システムも進んだ。 ただ、この方向性が正しいものか、それは誰も知らないし分かりようもない。大枠の方向性があっていても、角度が0.1度ずれただけで、数十年後には途方もない方向へとずれていくことになる。
『よくわからないからX線』と名付けられたX線。そんないい加減なネーミングが未だに使われているのも洒落が効いている。
X線から100年くらい経った今だからこそ、今から100年くらい先のことを悶々と考えている。 100年後には、自分もこのブログを見ている人も、近所を歩いているネコもイヌも、誰もがこの世にいない時代のはずだけれど、そんな100年後はどんな時代になっているのかと。そのまだ見ぬ未来人たちへ何を残せるのだろうか、と。
ふと、人類や宇宙の歴史の「流れ」に連なることをしたいと思う。宇宙や自然の原理(法:ダルマ)に反しないように。そんな愉快な一団にこそ参加したいと思う。
科学も知識も、どんなに偉大な発見であっても、それは目的ではなく道具。そして、その道具を使う人間次第の問題だ。倫理や道徳と言ってしまうと説教臭いが、つまりはそういうことだ。どんな奇跡が実現できたとしても、結局は使う人次第でどうとでもなる。そのことをダイナマイトで、原子力エネルギーで、人類は学んでいるはずだ。
それは包丁と同じ。包丁はおいしい料理を作って人を幸せにすることもできるけれど、人を刺し殺す事もできる。自分を傷つけることすらできてしまう。
プロがおいしい料理をつくるとき。日本料理、イタリア料理、スペイン料理、フランス料理、、・・・そういう各論的な料理の勉強もできるけれど、包丁の正しい使い方さえマスターすれば、どんな料理でも美味しく作れるはず。
科学も智慧も同じようなものだと思う。 使う人次第だし、それは常に目的ではなくて手段としてあり続ける。
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そんな悶々としたとき、ふと寺田寅彦の叡智に立ち寄りたくなる。 突き抜けた人のところにお邪魔したくなる。
書物や文字や言葉。 便利なものだ。時空間を超えて、巨大な知性と一対一で対峙できる。どんな超能力よりもすごい。
そうして、寺田寅彦随筆集 第四巻(岩波文庫)にある「科学者とあたま」を読んでいる。
突き抜けた自由な知性を感じるとき、自分の中に力が付与されるような気がするのは、不思議なものだ。それは人類を優しく包み込むような知性。
寺田寅彦の知性は、矛盾が自由に同居する知性。矛盾を矛盾のまま抱えることができる知性。 それは、寺田寅彦のように人間や自然をほんとうに丁寧に観察した人だから到達できるバランスだ。 なぜなら、自然も人間も、常に矛盾した存在だからだ。それは常に両極を含んでいるものだ。極と極とは同居させると矛盾しているように思えるけど、それが同居しているのがありのままの姿なのだ。強さと弱さ。固さと柔らかさ。いろんな両極。いろんな矛盾。
寺田寅彦が言う「頭がよくて頭がわるい」総合的で流動的な知性を、未来の科学や医学は必要としているんだと思う。
--------------------------------- 寺田寅彦「科学者とあたま」より 『頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。 頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。』 --------------------------------- 『頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。』 --------------------------------- 『頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思い利口だと思う人は先生にはなれても科学者にはなれない。 人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。 しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。 つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。』 --------------------------------- 『最後にもう一つ、頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。 それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。 科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。 しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。 そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。 そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。これもわかりきったことのようであってしばしば忘られがちなことであり、そうして忘れてならないことの一つであろうと思われる。』 --------------------------------- 「寺田寅彦随筆集 第四巻」岩波文庫(1963年)
■ 寺田寅彦の科学者と文学者統合されたセンスは、夏目漱石との出会いから生まれている。
人は説得や支配では根本的に変わることはないが、 人は感化や共鳴により根本的に変わることがある。
自分も色々な人の感化や共鳴を受け続けている。 そんな風に日々を大切に生きたい。 生きている、というのは出会いがあり、変化がある、ということだ。
--------- 寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」
『自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。 「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」 「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」 「花が散って雪のようだといったような常套な描写を月並みという。」 「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳(よ)い句である。」 「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」』 --------- 『先生からはいろいろのものを教えられた。 俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。 同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。』 --------- 『いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。 不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。 先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。 こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。』
--------- 「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫(1963年)より