『秩父の通過儀礼 安産祈願から帯』『御伊勢講とほうそう踊り』
自分の興味で、民俗学の映像上映会を定期的にしています。
古来日本で自然と調和していた「くらし」がどういうものだったのか、、。
その記憶は芸能や祭りや文化や習俗へと変換された記憶となり、暗号を読み解かれる時をひそかに待っていると思います。
民俗学の映像を共有して、未来のあり方を考える場になれば、と思っています。
自分の中でそれは医療にもつながっています。
次回は第7回目。 4月18日火曜の19時-21時30分(終了予定)。 神田にある一番古いビルでやります。(わかりにくいです)
1『秩父の通過儀礼その1~ 安産祈願から帯解き』(1978年、45分) 2『御伊勢講とほうそう踊り』(1979年、31分) の二本立てです。観終わった後、軽食を食べながら、感想のShare会もやります。 (→申し込み Fb)
(いつも自分の無茶な企画を手伝ってくれている本間さん、ありがとうございます!)
● 第1部の『秩父の通過儀礼』は、全5部作の一つです。ちなみに、他のラインナップは
秩父の通過儀礼 その2 子どもザサラから水祝儀まで 1980 45分 秩父の通過儀礼 その3 若衆組と竜勢 1981 50分 秩父の通過儀礼 その4 クレ祝儀・モライ祝儀 1982 46分 秩父の通過儀礼 その5 年祝いから祖先供養まで 1983 46分
古来、子供は7歳までは神のうちされ、七五三は、神や精霊の存在とした生まれたものが3歳、5歳、7歳と段階的に人間となり社会の一員になる通過儀礼として行われていました。
40年前の秩父の通過儀礼を見ながら、地に足のついた暮らしや生活に思いを馳せたいと思います。
● 第2部は『御伊勢講とほうそう踊り』。 「御伊勢講」とは、伊勢信仰をもとに作られた集まりです。
鹿児島県の笠沙町の小浦・片浦・野間池では、賑やかで荒々しいことを好む伊勢の神、オイセサンを喜ばせ、集落安泰・厄病退散を願うさまざまな習俗が伝承されています。
「ほうそう踊り」の疱瘡(ほうそう)は、天然痘(てんねんとう、smallpox)です。疱瘡(平安時代)→痘瘡(室町時代)→天然痘(江戸時代)と名前が変遷しました。
細菌やウイルスが未知の時代、疱瘡やコレラなどの感染症で何百万人、何億人という人があっという間に亡くなる時代がありました。西洋医学は、こうした感染症や急性期医療に有効な医学として、急速に発展して近代で力を得た学問です。
古代での謎の死因に対しては、ひたすら神仏に加護を求めるしか対処法がありませんでした。 人びとの生命と死、神仏と祈り、などが芸能化したものが「疱瘡踊り(ほうそう踊り)」なのです。
疱瘡踊りは,昭和37(1962)年に鹿児島県の無形民俗文化財に指定されています。
1979年の鹿児島で撮影された『御伊勢講とほうそう踊り』を見ながら、日本人の信仰、暮らし、医療など、色々と共有できればと思います。
■日時:4月18日(火) 開場:18時 18時50分開始 終了21時30分予定 ■日時:千代田区内神田2-3-14平沢ビル6階 http://yahoo.jp/PvHWY6 神田駅 西口より徒歩3分 (神田は駅の構造が複雑で迷いやすいのでご注意!!)
■タイムスケジュール 開場:18:00 趣旨説明:18:50 上映開始:19:00 第1部 『 秩父の通儀礼~安産祈願から帯』 第2部『御伊勢講とほうそう踊り』 休憩 感想グループシェアタイム&食事タイム 全体シェアタイム 終了:21:30予定
■参加費:¥2000(軽食込み) 当日、現金支払いのみ ■お申し込み方法 当イベントページの「参加予定」ボタンをクリックしていただくか、以下URLよりお申し込みください。 https://www.facebook.com/events/1262286277191009/
■定員60名様
■上映作品紹介 第1部 【民族文化映像研究所フィルム作品紹介】No.15 秩父の通過儀礼 その1 ―安産祈願から帯解きまで 1979年/45分 埼玉県秩父郡長瀞町井戸/皆野町三沢・藤原・立沢/吉田町下吉田
(作品解説) 人は、個としての生涯をたどるとともに、家族、社会の成員としての生涯をたどるが、その生涯のある年齢的時期時期に行われる多くの人生儀礼があり、その時期を通過する儀礼という意味で通過儀礼と呼ばれている。 この記録映画シリーズは、埼玉県秩父地方における通過儀礼を五つの時期に分数し、それぞれを独立した五本の記録映画に束ねたものである。その第一編がこの「安産祈願から帯解きまで」。子どもの誕生前から数え年七才までのものをとり上げたのだが、一般的に言っても、この時期が、最も密度の高い人生儀礼の時期である。 映画は、安産祈願から始まる。秩父に限らず産泰さまは多いが、岩根神社(犬神信仰の山)のツツジトンネルをくぐって御礼参りに来る人がたくさんある。特に、奉納物は底の抜けた柄杓で、拝殿の奥に山と積まれている。また、藤原安産堂には安産祈願でおこもりする人が多かった。ここにもほうきや、節を抜いた竹筒などの奉納物が多い。 かつて子どもを生みながら、その子を育てることができず間引きをする風習が日本の各地にあったが、秩父は厳しくその風習を戒めていた。子どもを生みながら、殺す親の心は鬼だと考え、大きな扁額が三十三番札所にかけられてある。そうした背景を持ちながら、赤子がどのような過程を経て一人前の子どもになってくるかを追ってゆく。 ある家で子どもが生まれた。かつては自宅分娩である。その産室の様子、産湯の扱い方、禁忌をさかのぼって考える。そして、生まれて三日目、近所の便所神さまに赤子を抱いてお参りする風習が、何かを考えさせる。 やがて、赤ダキ。近所の人、親類に初めて赤子を抱いてもらう。お宮詣りは、母親が子を抱いて氏神様に報告する日であり、晴れて里帰りのできる日でもあった。百日たつと、歯がため。石を赤子に食べさせるということを連想させる行事である。 初めての正月、初めての節句、三月、五月、底には秩父ならではの風習が厳しく行われている。夜泣き封じ、百軒着物、ほうそう祭り。 そして、七五三。秩父では、帯解き祝いといっている。ここで初めて幼児から子どもへと転換し、一人前の社会の構成員としての扱いをうけるようになるのである。映画はここで終わるが、続編として子どもから青年までの節目を追ったものを続いて完成する予定である。
<参考URL 動画> ・笠沙町の御伊勢講