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時を超えて受け継ぐもの

鹿児島に行ったことも影響したのか、亡くなった祖父から思いがけないものを受け取った。

3/11放映のNHKスイッチでの大友良英さんとの対談の中で、 「在宅医療をしていてよかったのは、戦争体験者の生の声を遺言のように受け取ることがたくさんあったことです」 という話をした。90歳台の人たちから、本当に貴重な話を数多く聞いた。 ああ、こうしたひとたちによって、この国は私たちに託されたのだ、と。

終戦日の1945年に生まれた人でも72歳になっている。戦前、戦中のリアルな体験を持っている人はどんどん少なくなっている。

自分の祖父母はどちらも亡くなっているが、もう少し話を聞いておけばよかったと今さらながら後悔していた。テレビでそういう話も少し使われていた。

やはり、親族には直接的すぎて、距離が近すぎて、話せないのだろう、と。

先日、熊本の実家に帰った時、飛び上るほどのものを受け取った。

亡くなった祖父(鹿児島の奄美大島出身で、小学校の校長先生をしていた教育者だった)の、手記が出てきたのだ。シベリア抑留時代を回顧した文章だ。

しかも、当時自費出版をしようか相談しているが、妻である祖母は自慢話みたいになるといけないから、よしなさい、とアドバイスしている。

こういう謙虚なところが、いかにも明治の人だ。

祖父の文章によると -------- 「あなた良いぢゃありませんか、その原稿をそのまま大事に保管していたらその内二人が死んだ後、孫たちが読んで、これはすばらしいと感動でもして出版でもしたらその一冊をきっと私たちのお墓に備えるでしょうから、それで良いぢゃありませんか」との妻の意見を聞いて、自慢話のように調子に乗って書いたと思われてもどうかと思い、この二部の原稿は机の引き出しに大切に四十年間寝かせた次第でした。 -------- とあり、「孫たち」とは、当時まだ生まれていなかった、まさにこの自分のことだ、ということに気付き、愕然とした。 (昭和六十三年、八十四歳で鹿児島から熊本へ引っ越してきた時、四十年ぶりに開封したと書いてあった。祖父が昭和二十三年頃、四十四歳ころの時期に書いた文章のようだ。)

言葉として発したことは、不思議な波紋を起こす。時間や空間は関係ない。だからこそ言葉は大切に使わなければいけない。

いのちは、受け取ろうと思えば誰にでも受け取ることができるものだが、そう思わない限り永遠に受け取ることができないものだと思う。

みなさんの自宅の奥底にも、こうした資料が誰とも知らぬ深い眠りについているかもしれません。

誰かが受け取ってくれることを心待ちにしながら。

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