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メビウスの輪のように

自分の長男は、月の引力から強い影響を受けて、この世界への好奇心が強かったせいなのか、予定日より1ヶ月早く生まれてきた。

長男が生まれた日は6月10日で、それは母方の祖父の誕生日と同じだった。

奄美大島生まれの亡き祖父からは、つい3週間前に戦後のシベリアでの手記を受け取ったばかりだ。その手記には、「まだ生まれていない孫へ、この手記を託す。」と書かれていた。

長男の名前は『寿太郎(じゅたろう)』と名付けた。 この古風な名前が、妊娠初期に確信を持って突然浮かんできた。不思議だった。

3週間前、熊本に帰ったとき。 震災の影響でまだ墓石が倒れたままになっていて、親と一緒に墓掃除に行った。

そのとき、『寿太郎』という名前が墓石に彫刻されているのを発見して、眼を疑って驚いた。

父方のひいおじいちゃんが、寿太郎、という名前だったようだ。そんなことは初めて知った。ひいおじいちゃんは、自分の父が生まれた直後に亡くなったらしく、自分の父もひいおじいちゃんのことはほとんど知らない。

そうしたことが重なると、『いのち』を与えられる、という現象の不思議さを感じずにはおれない。

民俗学で学んだことだが、古来の日本では、孫の名前はおじいさんと同じ名前を、意識的に付けていた。名前を何にするかなど、自意識で悩む必要もなく。

子どもは祖先の生まれ変わりそのもので、子どもは自分たちよりも長い時代を生きた尊敬すべきひとたちである、ということを、みんなが自覚的に思い出すためのすぐれた知恵であった。 祖先は子どもとして生まれ変わってくる、と。

いのちは、壮大な宇宙の仕組みの中で、巧妙に受け継がれているらしい。

血がつながっていようともつながっていまいとも、関係がないこととして。メビウスの輪のように。

いのちの仕組みは、人智を越えた宇宙的な事象なのだと思う。

人間が生まれ、生きていく、というのは、そういうことなのだ。

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