誰もが通った道
首がすわる、という状態の不思議さについて。
赤ちゃんと共にいると、色々と感じることが多い。
自分の発達過程を鏡で見ているようだ。自分の過去が目の前に展開される不思議さ。PCに向かう時間も少なくなる。
まず、首がすわる、という現象。 その後、動き出す。ハイハイなど4本足で歩く。 そして、ひとりで座れるようになる。 さらに、立てるようになる。歩けるようになる。
だれもが教わっていないのに、体をあれこれ使いながら、自分なりの手法で学んでいく。
学習が一度終了すると、そのことは無意識にできてしまうようになる。その不思議さ。
職場でも大人を見ていると、みんなの首は座っているし、椅子にも座れているし、立てているし、歩けている。 これは、やはりすごいことだ。
そして、身体の使い方は自己流で学んだことだからこそ、おとなになり、体への意識が少なくなってくると(現代社会は、脳の働きを重視する社会だから)、身体の使い方は何らかのゆがみが出てくることになる。
いまいちど、自分の首がすわっていない、と仮定してみる。 首をすわらせる練習をしてみると、かなり学びが多い。
成人での頭の重さは5㎏!もあるので(頭蓋骨だけで1㎏弱ある)、ボーリングボールくらいの重さを随時何も意識せずに支え続けている、ということだ。 しかも、背骨は2つのカーブがあり(これは3億年前の爬虫類時代と、700万年前の人類発生の時期に獲得した2つのカーブだ。ゆるやかに2つの曲線があることで、直立の2足歩行ができる。魚は背骨にまったくカーブがないので、何をどうやっても直立させることは難しい)、そうした2つのカーブを持つ30階建ての背骨の上に大人は5㎏の頭が載っているのは、かなり奇跡的なことだと思う。
首がすわっていない赤ちゃんの首を、自分が支えながらミルクをあげていると、ああ、人間ってすごいな、と、誰もがこの道を通ったんだ、と、改めて感動している。