人体という神殿
赤ちゃんは呼吸を頑張ってる。
肺での呼吸がメインだが、それでいて、魚のように全身で波打つように呼吸している。かかとまで、体がかすかに波うっている。
特に、横隔膜での呼吸法も頑張って練習しているみたいだ。
横隔膜は、2億5000万年くらい前の中生代(三畳紀)にほ乳類から獲得した膜状の筋肉。えら呼吸で使わなくなったので、胎児のときに首の辺りから大移動してくる。横隔神経も首からびよーんと下まで伸びているのが、その名残だ。
横隔膜は、肋骨の下に張りついているが、剣状突起(いわゆる「みぞおち」)の辺りの動きを見ていると、クレーターのように動かしているのが感動的だ。 やりすぎるとしゃっくりが起きている。 がんばれー、と、こちらも力が入る。





生後直後より、産毛とされる「毛もの」は増えているような気がする。本当に人体は神秘だ。
毛の生え方も、植物の根が生えるように、そこに意思を感じる。




体の皺(しわ)を見ていると、いづれ体が成長することを見越して、大きめにつくられているのだと思う。親が子供に大きな学生服を着せるように(当時、嫌だったが)。 皺の一本一本にも、人体の形に対するデザインが込められている。だから、お年寄りの皺を見ていても感動する。
イッセイミヤケさんが衣服で語るように、体は一枚の布でできているようなものだから、プリーツプリーズのように、ひだができて、間をつくることで、植物性臓器である内臓とのなめらかな動きを実現している。 皮膚という伸縮自在で、呼吸をして、光や振動すらも感知して、常に生まれ変わり続けている素材は、ファッション業界の人たちからすると憧れと羨望の的だろう。
左が過去の自分で右が今の赤ちゃん。何か重なりあうものがある。
ちなみに、人の顔は、モンタージュ写真のように全ての先祖の重ね合わせだ。 祖父母や親せき、すべての顔を波動のように重ね合わせると、こういう顔になる。
人間の祖先はもちろんだが、ほ乳類、爬虫類、魚類などすべての祖先を含んでもいる。
そう考えると、あらゆる面影を人の顔から発見できるから、不思議なものだ。
極限まで希釈されていようとも、すがた・かたちは静かに主張する。
すべての祖先の思いを、顔が面影として運んでいるのだ。
