Judith St.George「ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士」
Judith St.George「ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士」あすなろ書房 (1999年)という子供向けの伝記を読んだ。区の図書館にいくと、そういう子供向けの絵本や伝記にも興味深い物が多い。
ヘレン・ケラーには、あらゆる面で注目していて、関連資料を見るたびに読んでいる。
電話の発明者であるベルと、ヘレン・ケラーが幼少期の時から深く長い交流を持っていたことを知った。有名なサリバン女史をヘレンケラーとひきあわせたのもベル博士だった。
ベル博士は、母も妻も耳が不自由で、聴覚障碍者の教育に若いときから取り組んでいて、その分野でも相当の業績をあげていることを初めて知った。
ベルは、電話だけではなく飛行機を含めてあらゆる領域の研究活動を一生涯続けていて、特許も名誉もすべてほしい人がもらればいいとして興味を示さず。 一生を未知のものへの研究と、人々がコミュニケーションをとる手段の研究に費やしている。 すごい人だ。
伝記は、その人の人生を立体的に見るために本当に面白い。追体験しているようだ。 そして、自分がいかにある種のイメージで人を見ていたか、ということを改めて認識させてくれる。
コミュニケーションをとりたい、という思いは、FbやLINEも含めてあらゆるSNSを生んだ。今は、過剰結合状態となっている。 愛の本質は距離感にある。 ベル博士の電話の発明しかり、こうしたコミュニケーション手段の技術進歩により、私たちは間接的に愛というものが何なのか、学んでいるのだと思う。
------------ 本書より 「ヘレンは、人の助けなしには電話を使えなかった。 それでもベルは、彼の発明品が世界と彼自身にとってどんな意味をもつのか、ヘレンにわかってもらいたいと考え、ある日散歩に出たとき、ヘレンの手を電信柱にあてさせた。 「わたしが電柱に触ってみたのはそれが初めてでした。 『いつもこんなふうにブンブンうなっているの?』 と聞きますと、博士は、 『そう、いつもだよ。このブンブンは世界の鼓動だ。世界が鼓動を止めることはできないからね』と答えられました。」 ベルは、人間の声がどのようにして運ばれるかを説明し、 「この中の同線は、誕生や死、戦争や世界経済、成功や失敗の知らせを世界中の局から局へと運んでいるんだ。聞いてごらん!笑いと涙、破られた誓いと仲直りのドラマが聞こえるような気がするよ」 このエピソードは、ヘレンよりベルその人を語るだろう。 ベルにとって、電話は単なる<器械>ではなく、遠く離れて住む人と人とを結ぶ、心の架け橋だった。心と心をつなぐこと‐これこそ、生涯変わらぬベルの願いだったのである。 ----------- ニューファウンドランドとアイルランドをつなぐ電信ケーブルが大西洋の海底に敷設されたのは1866年のことだが、その話をベルから聞いたヘレンはとても感動した。 「そのときわたしは12歳でしたが、ベル博士の説明を聞いていると、人間の英雄的行為と想像力の偉大さがひしひしと胸にせまり、幼い子供がおとぎ話を聞くときのように心が躍りました。」 ベルとヘレンは、本と旅行が好きという点も同じだった。 「詩の一節、スコットランドの思い出、何年かまえに行かれた遠い日本のこと -それらが博士のたくみな指先から私の手へと入ってきました。 テニソンの<インメモリアム>、シェイクスピアの<テンペスト>や<ジュリアス・シーザー>のお気に入りの一節などを、よく暗唱してくださいました。」 -----------