ことばの力
ことだまの力っていうのは本当にある。
だからこそ、言葉は大切に使わないといけない。
むかしのひとは、一音一音にかみさまがいるって感じてたことを、もっと真剣に考える必要があると思う。
井筒俊彦先生の著作にも『Language and Magic』というものがあり(邦訳がない)、コトバの誕生は、呪術のようにマジカルなものだっただろう。
『THE COLLECTED WORKS OF TOSHIHIKO IZUTSU〈Vol.1〉 Language and Magic:Studies in the Magical Function of Speech』 慶應義塾大学出版会 (2011/4/1)
言葉として発した内容は、たいてい、自分自身が思ってもいない形で現実世界に顕現してくるんですよね。
そもそも、自分の言葉を一番聞いているのが自分自身だし、言葉に出さずとも自分の脳の中でリフレインしている言葉以前の段階を、自分自身がいつもシャワーのように浴びている。
表面ではよさそうなことを言ってても、なんだか行動が伴っていない人は、おそらくよそいきではない、自分の頭の中のコトバに、自分自身が呪縛されているのだろうと思う。
思いが言葉になる。 動こうと思うと体が動く。 これだけで十分マジカルなことだ。
だから、自分の言葉が自分の体へ影響を及ぼすのも、すごく当然の事だ。
自分は、生命の歴史で受け継がれてきた、多様性と調和の原理をこそ、四六時中考えている。だから、よく言葉に出すようにしている。
ことだまの力がある。
言葉は現実を動かす。
だから、他人の文句や悪口は、言葉にもしないし、そもそも思いすら浮かばなくなった。
他人の悪口も自分の悪口も、脳はきっと区別できないだろうから、言わない。 これは一種のトレーニングの力だろう。自分の心の動きを日々観察しているので、ある程度自分というものが何に動かされているのかが分かるようになった。
特に自分の感情を抑圧しているわけではない。抑圧していると、身体化してきて自分にフィードバックがかるから気づくような仕組みがある。
ゼロである赤ん坊から至った歴史の中で、ある人の人物や人格の全体像はできあがっている。もちろん、祖先の歴史も希釈されているだろう。その一瞬だけを垣間見た自分がとやかく言う問題ではないのだ。
温かい優しさでもなく、冷たい厳しさでもなくて。 温かい厳しさであったり、冷たい優しさが必要なときもあるのだ。