みずのながれ
にんげんの感情の問題。 自分はこれが子どもの頃から不思議だった。
(今でももちろん不思議だ。)
なんで人は怒ったり悲しんだりするのか、と。 なぜ、人はこうした感情に動かされるのか、と。
ちょっとしたビジネスは、意識的にも無意識的にも、この辺りを操作したり刺激したりして行われているし、犯罪やトラブルもそういうちょっとした感情の流れで起きる。
そういうことに、子ども心にもうすうす気づいていた。
怒りが沸き起こる時、自分は怒りの対象に注意や関心が向くよりも、怒りが湧いている自分自身にこそ、驚いていたし、外ではなく内へ、自分自身へと関心が向いたのだった。
結局、感じていることは、感情は心を駆動しているエネルギーの一部のようなもので、その水路や通路の問題なのだ、ということ。
水路が絶たれたり、堰を切って流れたりする。 水自体が枯渇することもあるし、一時的に高濃度に汚染されることもある。
だから、人間の心の中も、水が循環して流れるように、適切な水路が必要なのだ、ということ。
それが文化の役割でもある。
だから、自分は水という存在に、かなり関心がある。
それは、水が流れているのを見ながら、同時に自分の心の動きをこそ鏡のように見るために、適しているからだ。 心の深淵をのぞいたことがある人には、分かるだろう。