石内都「肌理(きめ)と写真」@横浜美術館
横浜美術館に、石内都さんの写真展「肌理(きめ)と写真」を見てきた。
「肌理(きめ)」という言葉が美しい。 肌の理。肌には肌の理(ことわり)がある。
その言葉に込められているように、今回の写真展で一番好きだったのは人体の肌の写真だった。
皮膚には皺がある。 皮膚は人体を一枚の布で包んでいるようなものだが、人間の成長に応じて、皮膚の内部空間が増えたり減ったりする。でも、皮膚は一枚の布であることは変わりない。 皮膚は与えれた問いを最善の形で解決するために一生かけて伸びたり縮んだりし続けることになる。
そのために皮膚は「皺(しわ)」というアイディアで難題を解決する。
「皺(しわ)」を山に谷に形成することで、一枚の皮膚はバランスを取る。
「皺(しわ)」は、悪戦苦闘の結果なのだ。
だから、往診などでお年寄りの皺を見ていると、いつも美しいなぁと感じていた。
木に年輪が刻まれるように、折り紙をつくるように、皮膚には皺として年輪が刻まれている。
生き続けてきた証拠そのものだ。
今回の展示では、皮膚というミクロ世界で展開されている世界を、陰影や質感と共に実に的確に転写され、プリントとして刻まれていた。
石牟礼道子さんの肌の写真もあり、ぞわぞわした。「不知火の指」と。
(写真は図録から)
お母様の遺品を映した写真も迫ってきた。
そうした自然な流れの中で、広島の原爆で被爆した衣服の写真もあった。
衣服も遺品も、何も語らない。ただ、遺されている。 見る人がそこから何を感じ受け取るのか、自由に委ねられている。
衣服のひだが、皮膚の皺のように見えた。 この衣服の下に生きた人間の体があり、皮膚があり、命が息づいていたのだなぁと思いながら目を凝らして見た。
先日、白川静先生の本を読み、まさに「衣」の話があった。
「魂のありど」としての「衣」を思いながら写真を見た。
---------------- 「衣は身を包むものであり、魂のありどでもあった。 衣は上衣の衣襟のところを示す象形字である。」 ---------------- 「死者にはまず新衣を加える。 新衣をもって屍を包むのは、魂の復活を祈るものである。 死亡を卒という。 その字の形は、衣のむねのえりもとを締めて、 くくる形である。 おそらく魂の脱出を防ぐためであろう。」 ---------------- 「哀哭の儀礼は、この衣に寄せて行われた。 そこに、死者の霊が移ったとされるからである。」 ----------------
衣は、現世に脱ぎ落された魂の形なのだ。
●石内 都 肌理(きめ)と写真
横浜美術館 2017年12月9日(土)~2018年3月4日(日)まで開催。
→HP
P.S. 連続して観た、同時展示の横浜美術館コレクション展もすごかった。
「全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」 →HP
マグリット、ダリ、マン・レイ、エルンスト、ミロ・・・・ こんなすごいコレクションを横浜美術館が所蔵しているなんて、、、センスよすぎる!
石内都さんの《絶唱、横須賀ストーリー #58》(1976-77年) 初期の作品も、迫力があった。ああ、これが原点なのだな、と。
石内都さんの原点から最新作まで一望出来てすごい展示です。
しかも、横浜美術館コレクション展も溜息出るほど素晴らしく、おなかいっぱいで満たされて帰りました。