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高橋望 ゴルトベルク変奏曲@東京文化会館

1月20日(土)、高橋望さんのバッハ、ゴルトベルク変奏曲@東京文化会館小ホールを聞いてきた。 本当に素晴らしい演奏だった。

東京文化会館小ホールは、美しくイマジネーション刺激される素敵なホール。 選ばれた人しか演奏できない場所。

700席が満席だった。

クラシック不況と言われる現代で、この人気はまさに彼の実力や魅力を物語るものだ。

そして、今のクラシックに欠けている何かが、高橋望さんに備わっていることの証でもある。

Bachの思いを伝えたいと、ピアノの音色だけではなく勉強会も開催する。

「伝えたい」という思いこそ大事であって、表現は自由であっていい。

そういう熱意も、ピアノの音色に重なっているのだろう。

ゴルトベルク変奏曲の演奏会なのだが、最初に「平均律クラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)」が弾かれた。

それはなぜか?

●バッハ平均律クラヴィーア曲集No.1 聴き比べ

今回の演奏会では、ゴルトベルク変奏曲全曲を一息で弾くので、全部で90分近くかかる。遅れてきた人は、途中で入室できなくなる。遅れてくるお客さんへの配慮、ということであった。その余白にこそ、彼の優しさと音楽への愛を感じる。

「平均律クラヴィーア」で幕を開け、その後、ドアは固く閉じられる。

その後、ゴルトベルク変奏曲の世界へと。

全員が運命共同体のように入り込んでいく。

もともと、この曲は天才ピアニスト、グレン・グールドが、レコード会社に反対されながらもデビュー盤として選んだ曲だ。いわゆる1955年版(若いグールド)と1981年版(亡くなる直前のグールド)が有名で、バッハのゴルトベルク変奏曲を200年ほどの時を経て表舞台に乗せたのはグールドの功績と言っていいだろう。自分は、レコードで何度も何度も聞いた。

そして、その思いを、高橋さんは別の形で引き継ぐ。

●Bach's Goldberg Variations [Glenn Gould, 1981 record] (BWV 988)

●J.S.Bach "The Goldberg Variations" [ Glenn Gould ] (1955)

●グレン・グールド ゴールドベルク変奏曲 聴き比べ

高橋望さんが弾くゴルトベルク変奏曲は、また一味違う。

高い集中力で、バッハが出した宿題や謎と本番でも対峙しながら弾いているように見える。

過去の自分の弾き方や解釈に安住して満足せず、本番の高い集中力でこそ出会える新しい発見を楽しみにしながら、放たれていく演奏。それでいて世界観は閉じていかずに、窓も扉も万人に開かれている。

まるで自分が弾いているような気になるほど、高い集中力がこちらまで伝わってくる。

90分近くの演奏で、まったく集中力が途切れなかった。 聞き終わり、長い旅を経て帰ってきたような気がした。すばらしい演奏だった。 四季折々の春山、夏山、秋山、冬山、そういう季節が一巡する登山から戻ってきたような感覚だった。

人はなぜ旅をするのだろう。 おそらく、それは違う場所に行って、異邦人である自分と出会うことでしか感じることができない未知の感覚を得るためだろう。旅を経ることで、自分自身が更新される。

 

高橋望さんの今後の展開も楽しみだ。

高木正勝さんのピアノもそうですが、一音弾いただけで音の違いが分かる、というのは、不思議なことですが、それは人の声がすべて違うことと同じなのでしょうね。

ピアノが音から声に近づくと、一音がある人格を持つようです。

その時のピアニストは、ピアノや楽譜から人格を持った声のような音を引き出す産婆さんのような存在なのでしょう。

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●J.S.Bach「ゴルトベルク変奏曲」 髙橋望

<内容紹介> 「アリアに始まり、30の変奏を経て再びアリアに戻るゴルトベルク変奏曲、 私にとってはT.S.エリオ ットの「長い旅の終わりに出発点に還り着く、そこは初めて出会う場所」の一文を思い起こさせます。 長い旅のあとめぐりめぐって出発点に戻ってくる。 しかしその出発点は今までとは一変した新 しい姿を見せてくれる。 それは長い旅を通じて私たちの中の何かが変わるからではないかと思います。 ゴルトベルク変奏曲の演奏会を毎年続けて行くにあたり、バッハやエリオットが投げかけて来る様々なことを一枚のCDにしたいと思いました。 長い旅はまだ始まったばかりですが、永遠のテーマとして向き合って行きます。」(髙橋 望)

毎年バッハ:ゴルトベルク変奏曲の演奏会を毎年開いている髙橋望の待望のアルバムです。どうぞよろしくお取り扱いください。

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