サヘル・ローズさん
Fresh Facesでナレーションをしていただいている方が、サヘル・ローズさんで、驚いた。
自分は、サヘル・ローズさんの「戦場から女優へ」を読みながら何度も涙した。 それ以来、彼女を見る目が180度変わってしまったのだ。
・・・・・ サヘル・ローズさんはイランで生まれた。11人も兄弟がいた。
4歳のころ、イラン・イラク戦が起きた。 彼女は、その戦争のせいで、両親や11人の兄弟すべての家族が、空爆で一夜にして亡くなってしまったのだ。 サヘル・ローズさんだけが、がれきの中からボランティアで来ていた女性に助けられた。 4歳にして、一夜ですべてを失ってしまった。
その後、天涯孤独の身となったサヘル・ローズさんは孤児院に入る。
あるとき、がれきから救助したボランティアの女性と孤児院で再会する。 そのとき、思わず「お母さん!」と彼女に叫んだらしい。 その声が忘れられず、偶然がれきの中から救助したその女性は、サヘル・ローズさんを引き取り、自分が母親代わりとなって育てることを決意する。 ただ、彼女は高貴な王族の娘さんだったので、そんな見ず知らずの子供をひきとるなんて、と、一族から破門され、縁を切られてしまうのだ。
そこまでして、サヘル・ローズさんを引き取った思いはいかばかりだったか。 安全な王族の生活を捨てて、サヘル・ローズさんを引き取った養母の思いはいかばかりだったのか。 そのことを思うだけでも泣ける。
その後、養母は日本にやってくる。 養母が結婚を考えていたイラン人男性が、日本に来ていたからだ。 ただ、結局その話は破談となり、養母とサヘル・ローズさんは、縁もゆかりもない日本でたった二人、途方に暮れる。
そのときにも、通っていた小学校の給食のおばさんが、熱心に無償で面倒を見てくれたという。 素晴らしい人は、こうした市井の中にさりげなくいるのだ。 慈悲の心を忘れず、仏の道を実践しているひとたちによって、この社会は支えられている。
学校でもいじめを受けたり。彼女は自殺を考えるほどだった。
絶望の底にいたとき、サヘル・ローズさんが養母の手に触れた。 その手がゴツゴツと硬く、別人のようになっていたことに気づく。 養母の苦労を、身体を介して肌を介して受け取った。
その後、彼女は養母への恩返しを考え、生きなければいけない、と思う。 女優になることを決意する。 しかも、それはイラン時代に見た日本のドラマ「おしん」に影響を受けて、とのことだった。
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簡単にまとめたが、自分が記憶しているのはこういう内容だ(もう一度読み返してみたい)。
自分はこうしたサヘル・ローズさんのサイドストーリーを知っているだけに、NHKで爆笑問題と一緒にやっている探検バクモンなどのTVで彼女の笑顔を見ると、何かこみあげてくるものがある。
そうした数奇な人生をたどりながら、そうした苦しみを笑顔に変え、テレビの中で菩薩のような微笑みを見せている彼女を見るたびに、 人間の運命というもの、 そして、どんな困難でも人は乗り越える力があるのだ、 ということを感じる。
そんなサヘル・ローズさんにナレーションをしていただいて、本当に光栄です。
<参考>
イラン・イラク戦争のさなか、家族を失い、孤児院で生活をしていた少女がいた。 若き養母とともに来日した彼女は、貧困やいじめに耐えながらも麗しく成長し、やがて女優への道を目指す。 サヘル・ローズさんの波乱の半生とともに、日本人にはなじみの薄い中東の国イランと、その国民性について話をうかがった。
--------- ■サヘル ローズ 「戦場から女優へ」(2009年) <内容> 戦争、空爆、孤児院、ホームレス、いじめ…。「滝川クリサヘル」の別名でも知られるイラン人タレントの数奇な人生。
<著者略歴> ローズ,サヘル 1985年10月21日生まれ。イラン出身。89年、イラン・イラク戦争での空爆により、住んでいた村が全滅、ただ一人、ボランティアの女学生に救出され、孤児院に。この女学生に養女として引き取られるが、養母が両親から勘当される。93年、日本で働く養母の婚約者を頼り、二人で来日するも、今度は「連れ子」の存在が原因で離別。その後、公園でのホームレス生活、クラスメートからのいじめ等を経験。高校在学中よりJ‐WAVE「GOOD MORNING TOKYO」のレポーター等の活動を開始。07年、日本テレビ「The・サンデー」内の「週刊!男前ニュース」に「滝川クリサヘル」として出演し注目される。現在、テレビ、ラジオ、CM、舞台等で活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ちなみに、BS朝日の2/24土曜の放送。 こちらYoutubeですでに見れます。
実質3分なのに、高密度の内容!! 映像制作者のプロの方々の、匠の技と情熱とが伝わってきます。 ありがとうございます。次につながる種まきになりますように。
【Fresh Faces #151】では、 最後が「病院」と補完的な働きを持つ「養生所」を全国・全世界に作りましょうよ、 という提言のようなもので終わってますが、 ちょうど今月のWeb春秋では、日本の病院の歴史と養生所の提案を書いていて、シンクロしてます。
ちなみに、日本の病院は明治前後にできた、きわめて新しい医療のシステムです。
軍陣病院ふくめ、戦争での急性期医療に対応するために急ごしらえで作ったシステムです。風土に根ざしているとは言い難い。
あと、海外ではキリスト教などの宗教での慈善行為が病院のベースになっているので、日本では仏教、神道、儒教、民俗学、・・・道など、日本思想の核にあるものを取り入れないと、仏像作って魂いれず、になってしまうでしょう(というか、いますでにそうなってる)。
健康や元気を扱う養生所のような場所では、 大規模な統計データよりも、目の前にいる個人、症例報告、ひとりひとりの人生をどうサポートするのか、 そういう個の視点を大切にする必要があります。
健康を育み、養い育てることを、 医療や福祉や教育や芸術や建築や、、、、 色々な文化の力を結集させて作る必要があると思ってます。 文化とは、「いい!」「好きだ!」「残したい!」という思いが形として残ったものだから。
まさに人体をメタファーとして、いかに多様なものが調和していくのか、 それが今後の最重要課題で、それは既に存在している人体や生命の本質から学ぶべき、学べるのでは、、、と。
資本主義の次は、人体主義・生命主義のような時代になれますように。
そういうことも原稿に書けばいいって話なんですが、もしお時間あれば、ぜひお読みくださいー。
(2-3か月たつと、Web上では見れなくなりますのでご注意を。)