バトン
すべてのものには表と裏があり、表と裏は一つのもの。 生と死もそういうもの。 生と死、表と裏、裏と表をつなぐには、死と生の接点を失わず、つなげること。
自分は2011.3.11以降、医療行為を含めて色々な事情があり、毎週末のように東北を歩いた。 東北や福島を歩く行為が、そのまま祈りの行為でもあった。 祈りの正式な方法を自分は知らないが、その土地を歩くことで、そうした思いが浮かんでは消えた。
土地に行くと、亡くなった方々の思いを感じた。 それは必ずしも重いものではなかった。 怒りやかなしみ、ではなかった。
死を無駄にしないでほしい、 忘れないでほしい、 よりよい未来をつくってほしい、 あなたたちにバトンを渡す、 というような。
それは重要なメタファーを含んでいた。 適切に読み解かれるのを待っているように、感じた。
ふとした時にそれを思い出した。 自分はどんな人の死も無駄にしない。 3.11だけではなく。
自死したすべての人の思いも、一人残らず漏らさず受け取りたい。それを次につなげたい。自死する人は感受性の高い人。それは本来は人類の宝だ。そういう方を失ったのは大きな損失だ。 そこから何かを感じ取り、受け取らないといけない。 いのちをかけて投げかけたメッセージを。
声がか細く弱いときこそ、そこには強いメッセージが込められている。 喪に服する時間というものが必要だ。 そういうときくらいは、心を静かにする。
死者は常に生者の味方をしている。 だからこそ、生者も常に死者の味方するものだ。
3.11を思って、思い出すかのように心の湖面に浮かんできた。