ヴォーカリスト鈴木重子さんと
昨日は青山ブックセンターでのボーカリスト鈴木重子さんとの対談。
〇2018/5/16(Wed)(19:30-20:50):「生きる力を高める効率的な呼吸法を学ぶ」@青山ブックセンター本店:『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法―アレクサンダー・テクニークで息を調律する』(医道の日本社)刊行記念。
●2018/4/13:リチャード・ブレナン(著),稲葉俊郎(翻訳・監訳)「身体のデザインに合わせた自然な呼吸法ーアレクサンダー・テクニックで息を調律する」 医道の日本社(→amazon)
事前の打ち合わせでも、あれも話したいね、これも話したいね、と共通の話題で大いに盛り上がる。
呼吸、アレクサンダー・テクニークの話をするためには、やはり身体全体の話の一環でしないと、よくわからなくなる。そして、呼吸の話と、声や歌の話とも、密接に関係している。息をしないと、声は出ないからだ。
頭と脊椎の関係。
普段はなかなか意識しない。
ただ、亀が首をすくむように、あえて首と脊椎の関係性をロックさせることで全身の体が動かなくなる。全員で身をもって体験して感じてみる。
実際、「首がすくむ」という動きは、「恐怖で体がすくんで動けなくなる」動きだ。これも、身体の防衛反応としてきっと意味があるのだろう。
内部にある植物的生命を守るために、あえて動かずじっと身をひそめる。ただ、現代は慢性的な身体の緊張状態にある。そのことで同じ状況が体に起きている。呼吸は大きく制限されている。
わたしたちは、体の可能性をもっと呼びさます必要がある。
スマホやPCなどのテクノロジーから色々な恩恵を受けているのは間違いないだろうが、そもそもスマホやPC特有の身体の動きと身体の自然な形との関係性は薄い、という現実を知ることから始めたい。
今後、頚椎症をはじめとした身体の異常が、もしくは全身の歪みの余波となって奇病のような身体の異常で頻発してくるのではないかと予想している。
だからこそ、現代のテクノロジーとも矛盾しない新しい身体観も必要とされる。わたしたちが構築しないといけない。
まずその前提として、体の全体性を熟知する必要がある。鈴木重子さんから、ボーカリストという実践者の視点からも、今後も大いに学ばせてもらいたい。
会の中では、実際に歌を歌っていただいた!
その前に、ウォーミングアップもかねてみんなで発声練習をした。
救急車の合図のようにうなるような声の響き、猫の鳴き声、犬の遠吠え、唇の振動、舌の動きの解放、、、すべてが新鮮な身体の動き。
すべては息の通りをよくすることと関係している。
息をする、そして声を出す。
こうしたありふれた日常的な動きの中に、なんとあらゆる要素が相互に連関しあっているのだろうと、驚くばかりだった。
その後で、アカペラで聞いたLouis Armstrongの楽曲「What a Wonderful World(この素晴らしき世界)」。
鳥肌がたったし、圧倒されたし、惹きこまれた。
魅了する、という意味のAttractionが、引き寄せる引力のことを示すことを体験するかのように。
重子さんが歌う準備をとって、立つ。
立ち姿が、すでに美しい。
そのとき、俳優のように目には見えないイメージ世界を立ち上げる。その世界にいざなうように、聴衆を巻き込む。
自分は空気の振動が一瞬停止するかのような環境の空気の変化を感じた。
息をのむ。
すると、歌い手と自分の息とが同期する。そのことで、場全体が同期する。
声の振動。
音のボリュームが大きい小さいという量の話ではなく、息と音とが調和しあい響きあいながら、空気とも響きあい、調和しながら自分の身体とも響きあう、質を伴ったひとつの媒体として。
人と人とが皮膚で触れ合わなくても、声と息とを介して、相手と触れ合っているような感じ。それを魂の感応というのだろうか。
音や声で場を支配しようというような欲望や支配欲ではなく、空気中の水蒸気、ひとつひとつの水滴に混ざり合うような自然界に溶け込んで混然一体となるような音の響き。そうした空気中の水滴の振動を介して通路が開かれたかのような不思議な響き。
自分は感動した。
そして、感動した時に自分の身体が起こす状態も、開かれていて緩んで、微細に、そして力強く振動しているような身体になる。感動した時に向かっていく身体の在り方も、自分は好きだ。それは自分自身も、ほかの人たちの身体を見ていても。
この対話の会は80分もあったのに、もう終わり?!と愕然とするようなマジカルな時間。
本の中にある色んなExerciseをみんなと丁寧にやって、あらためて「余計な緊張をとる」「身体の余計な習慣的な動きを一度やめてみる」。みなさんと共有できたのがうれしかった。
重子さんとは、今後も定期的にこうした会を開きたい。自分も学ぶことがたくさんだ。
打ち合わせの時に話していた内容も素晴らしく、共有できずに残念だ。
それは、人が死を迎えるときに発する存在の音、存在のメロディーの話。大いなる場所に戻っていくときの、いのちのふるさとの話。そうした場所と、音楽とは深い関係性があるのだろう。
自分も音楽が好きだ。
それは、音楽を奏でる人たちの、全存在から放たれる響き。
表面に聞こえる音の底に静かに響いている音をこそ、自分は聞いて溶け合っているから。
(このCDは鈴木重子さんの『breath of silence(ブレス・オブ・サイレンス)』(2003年)、素晴らしいCD。
カーペンターズのWe’ve Only Just Begunからはじまり、「この道」(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)の日本の童謡も歌う。他の誰にも出せない唯一無二の響きを、重子さんの歌からは感じる。身体やいのち全体から発される大いなる響きに包まれるような感覚として。)
ぜひ生の歌を聞きに行ってみてください。
●2018/4/13:リチャード・ブレナン(著),稲葉俊郎(翻訳・監訳)「身体のデザインに合わせた自然な呼吸法ーアレクサンダー・テクニックで息を調律する」 医道の日本社(→amazon)