相撲という神事
相撲協会の方にお誘いいただき、両国国技館の相撲(大相撲 5月場所)を見に行ってきた。
4列目くらいの升席で至近距離だった。
両国国技館。やはりこの空間がすばらしい。入っただけで空気が変わる。
土俵周りの審判として、貴乃花親方もいた。
貴乃花親方もいろいろとあった。
詳細は当事者にしかわからない。 ただ、ブッダがスッタニパータで言うように、「犀の角のようにただ独り歩め」という心境だ。
孤独だろうが、信念をもって頑張ってほしい。
システムの中に安住するのではなく、個人として信念をもって行動している人を心から応援したい。
超満員だった。 熱気がすごい。 国技館が揺れる。
生で見る相撲は20年ぶり!くらいだったが、肉と肉とのぶつかり合いは、ほんとうに鈍く不思議な音がする。
そして、全体的にスピーディーにテンポよく進んで行く、そのリズム感が面白い。
身体の所作が数多く残っていて、そうした身体言語こそが、相撲の儀式性の側面を残している。
相撲は、あくまでも格闘技ではなく神事なのだ。 能がエンターテイメントではなく、儀式であるのと同じように。
そこには日本の芸能の深い歴史があり、日本人の中に無意識化して深く沈殿している、深い信仰の形がある。 そう簡単に僕らが気づけないほどの、深い深い信仰が。
相撲関係者の方々も、そもそも何のためにやっているのか、という原点をこそ、いまいちど思い出してほしい。 それは相撲業界だけではなく、医療業界でもあらゆる業界に言えることだ。 そのものが誕生した原点、原初の必然性を思い出すこと。
相撲の祖先とされる野見宿禰(のみのすくね)。
野見宿禰(のみのすくね)は相撲の祖先だけではなく、埴輪づくりの祖先でもあり、葬儀の祖先ともされる。
当時、高貴な方が亡くなると、古墳の周囲にはその家来も生きたまま埋葬?!されていたらしい。そういう殉死を奨励するのではなく、人命を大切にして、人の代わりに埴輪を埋めることを提案した人物としても野見宿禰は知られている。そのことで、埴輪づくりに携わり、子孫は天皇家の葬儀をつかさどるようになったとのことだ。土師氏の祖先でもあるため、菅原道真公も土師氏の末裔。興味深い事ばかりだ。
野見宿禰(のみのすくね) 天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫(14世の孫)。 垂仁天皇の命により、出雲から大和に出て,当麻蹴速(たいまのけはや)と力を争って勝ち、相撲取りの祖とされる。 また、32年皇后日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)皇后の死に際、慣習として残っていた殉死(古墳の周囲に家来が生きたままイキウメにされていたらしい)の代わりに陵墓に埴輪(はにわ)ををもって殉死に代える案を進言し、土師臣(はじのおみ)と称して、子孫は天皇家の葬儀をつかさどった。 奈良県の三輪山北方には野見宿禰を祭るという相撲神社と称する祠があり,その辺りを両雄対決の場と伝える。 ただ、蹶速との一件は相撲そのものの起こりというよりも,毎年宮中行事として7月7日に催される相撲節会の由来を語る話である。
<参考文献> 西郷信綱「ノミノスクネ考」(『古代人と死』平凡社ライブラリー)