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2018年涸沢診療所登山 その1

毎年行っている、穂高にある診療所に行ってきました。

今年はセイジ・オザワ 松本フェスティバル(旧称サイトウ・キネン)と時期が違っていて、立ち寄れないのが残念だ。(小澤征爾さんは今年も指揮棒を振れないようで、本人が誰よりも残念がっているだろう。心の中では指揮棒を振っているはずだと思う。)

山岳診療所は、東大の山岳部OBでやっている涸沢診療所。涸沢ヒュッテという山小屋の一角をお借りしている。 涸沢ヒュッテ々は山を守っている方々であり、涸沢ヒュッテの存在から恩恵を受けている登山者は数多くいて、その影響力は計り知れない。 自分も学生時代から涸沢診療所に出入りしていて、その恩返しの一環として山岳医療に携わっている。

涸沢には、長野県の上高地(松本市街からここまでも山中を1時間くらいかかる!)から、徒歩6-7時間の行程。 ここ最近運動不足の自分としては、貴重な時間でもある。

 

上高地にはお猿さんがたくさんいた。

樹上生活を見ていると、ああ、わたしたちの先祖が、この樹上生活から脱して二足歩行をはじめたのだなぁ、と、改めて感慨にふける。

こどものモロー反射(寝ている時にパッと両手をあげる)、樹上生活の名残り(寝ている時に樹から落ちないようにパッと手をつかむ)という説もあるくらいだし、樹から陸上生活にシフトした先祖の誰かは、アヴァンギャルドだったのだろう。 →<参考>●July 18, 2017 失いかけ離れていこうとする古代の記憶

森は、葉がお互い最大限の光をうけとれるよう、主張し合いながら譲り合いながら葉を伸ばす。 その上で、植物と土とが、熱を保持しながら発散させて、一定の温度に保つ。 水も同じ。 植物の体内、土の中の根っこ・・・、 全体で水の量を一定に保つ。 お互いがよりよく生きれるような適切な量を保つ。 この全体的な調和の責任者や統括者はどこにもにもいないにもかかわらず。

森という体内に人間が入り込むたびに、その森という人体の鼓動を、内側から感じる。

人は安心した場所にいると深く眠る。 眠りにも質がある。 人生において、日々、質のいい眠りをとることが重要なことだ。 それは昼活動している時間とペアになる時間だから。

生命には必ず眠りが必要なように、社会にも眠りが必要だと思う。

自然のエネルギーの形 らせん 

縄文やケルトの紋章でもある。

宇宙が生まれたときのビッグバンのような存在感。

意外に長くなりましたので、二つに分けます。続きは明日。

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