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わたしたちの宿題

パワハラ騒動を見ていて思うこと。

一つ目。

組織、集団の在り方が、成長してきた。

すこし前までは、軍隊方式の在り方が、部活や会社に適応され、そのことに疑問をすら感じなかった。

戦争の強い影が刻印されていたのだろう。

今後、集団の在り方が明らかに変わっていく。ティール組織(Teal組織)もそういう胎動の一つ。

軍隊のようにヒエラルキーを基礎とした縦社会ではなく、横の水平的な社会に。

そこには上下や支配関係はなく、役割の違いがあるだけで、心理学者のアドラーが予言したように自己信頼(自己肯定)、他者信頼(他者肯定)、他者貢献、この3つの要素が当たり前のものとして染みつかない限り、社会の形態は次のステップへは進めない。

縄文文化への注目が集まっているのも、こうしたことと無意識レベルでの関係があるのではないかと思う。

二つ目。

パワーハラスメント、略して「パワハラ」。

意味が分かったような分からないような言葉を使わずに、

「いじめ」、「仲間外れ」、「暴力」

これらを社会から根絶する、と宣言したほうが分かりやすい。本気になって取り組めば必ず実現できる。天然痘の撲滅宣言のように。

「いじめ」に、合理的な理由はない。 目立つ人はいじめの対象になる。 いろいろな意味で平均から外れた人が、いじめの対象になる。 「仲間はずれ」はそことセットになっている。

「いじめられる」という「不安」が膨張すると、先手を打って「いじめる」側にまわることで、その「不安」を回避しようとする。「不安」は、この世のものが無常であることから起きる感情の動きのことだ。「無常」とは、すべてのものは変化する、という仏教の本質にあたる概念。ブッダは「無常」をこそ、人間存在の最重要テーマとした。

成績は偏差値ではかり、平均から外れた人を優遇するにも関わらず、 スポーツも平均から外れた人を称賛するにも関わらず、 いじめでは、平均から外れた人を排除しようとする矛盾。

いじめの蚊帳から外れた人が、いじめを止めたくても止めれないのは、次は自分がいじめの対象になるから。 そして、存在を無視され、仲間外れになる危険性があるから。そこと暴力もセットになりながら、閉じた回路でそれぞれがグルグルとつながっている。

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子供の社会でも小さいヒエラルキーがあるにも関わらず、大人の社会では不思議なステップでヒエラルキーが拡大して網の目のように張られていく。

そうした見えざるヒエラルキーを巧みに利用して、いじめと仲間外れが日常的に行われている。

パワハラの実情は、そういうことだ。

大人の社会も、こどもの社会も、この問題に真剣に取り組む必要がある。カタカナ言葉に変換しなくても本質は同じ事だ。

そのためには、人間という存在を深く知ることと不可分だ。個人的には、人間という存在を深く知ることは、平和へと至る門にも通じていると、子供のころから思い続けている。

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