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カラダだから

奥野美和さんたちの『Namelessness -名のないカラダ-』、青木尚哉さんたちの『atlas』、すごいダンスだった。このダンスのプレトークとして参加させてもらった。

体が野獣のように、生命の塊のように、体が自律した生命として動くさまは圧巻だった。プロのダンサーの凄みをまざまざと感じる舞台だった。

『Namelessness -名のないカラダ-』では、頭から分断された体から、体の叫びやうめきが地鳴りのように聞こえてくるダンスだったし(そもそも、体の叫びは、体という生命が選択した生き延びるための表現であり、それ自体が芸術的でもある)、『atlas』では、最後のほうにつくられた紐の裂け目が、三次元世界に四次元空間が立ち上がってきたような感覚を得た。四次元との対話だ。

演劇もダンスも、舞台は一回性の芸術。

一回性の芸術を見ることで、わたしたちの人生自体が、そして一日一日が一回性の連続で成立していることを

思い出させてくれる。そして、ダンスと同じように生きることが、意味を超えたものである、ということも。

芸術はわたしたちの外の世界と内側のいのちの世界とをつなぐもの。そして人工世界と自然とをつなぐもの。

ほどけてしまったものを、あみなおす。

何かと「考える」ことが多いこのご時世で、ただただ「感じる」ことに身を委ねる時間は、贅沢で豊かな時間。「感じる」だけの時間を、わたしたちは心の世界から欲している。

やはり今の社会があまりにも芸術と遠くなっているからこそ、現実の社会と芸術とをつなぐ補助線、港場のようなものが必要になる。 それぞれのコンテンツが大切なのはもちろん。

ただ、その間をつなぐものが大事だ。

大航海を経て海からやってきた船が陸にあがるとき、港や船着き場が必要なように。

芸術の舞台でも、ざわついた日常から突然にあの世界に入り込むのは難しく、港という場によって海と陸との間をつなぐ必要がある。

たとえば、呼吸を整えてから公演を見るような舞台であったり、瞑想など意識のクリーニングをしてから公演を見る舞台であったり・・・

実は、舞台の世界にはもっともっといろいろな可能性があると思う。

より深く身体の表現、無意識の世界に入り込むためにも・・・・

ダンサーの方々の肉体の激しい使い方を見ていると、強靭な肉体だけではなく、怪我をしてもすぐに元に戻るような復元力が必要なのだな、と、改めて。

ひさびさにコンテンポラリーダンスを見ましたが、頭の中がクリーニングされるようだった。 台風の後の空気の綺麗さのように、自分の頭も心も澄み切っているのが不思議だ。

みなさんの今後の舞台も楽しみです。

■Artist Support Program Vol.3 Dance New Air 2018 Lecture + Dance 【introduction】#1  コンテンポラリーダンス Lecture + Dance 『Introduction』 #1 – 振付家:青木尚哉『atlas』 – 振付家:奥野美和『Namelessness -名のないカラダ-』 – ゲストスピーカー:稲葉俊郎(東京大学医学部付属病院循環器内科助教、医学博士)

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