岡本太郎「ピカソ ピカソ講義」(1980年)
岡本太郎が1980年に出した「ピカソ ピカソ講義」(朝日出版社)という本。宗左近さんのInterviewのようなスタイル。
高校生以来で久しぶりに読んだら、まったく古びてなくて、むしろ今こそ新しい! 大きなInspirationを受ける本だった。 ピカソを、そしてTaroのことを、もっともっと知りたいと思った。
この本は ちくま学芸文庫で2009年に再販もされている。
----------- 震え上がるほど感動したというのは自己発見なんだ。 ----------- 自分はまずこの土地の人間になってしまおう。 そこで生き、動き、ひらいたものこそが芸術なんであって、手先だけのものは絶対に芸術じゃないんだ。 ----------- →太郎さんがセザンヌを最初に見た時の感動。 そして、パリで暮らし始めた時の思いについて。 かっこいいです。
----------- 芸術家なんてことにそうだけど、みんな自分の主観で世界を判断し、ひたすらエゴサントリック(自己中心的)でしょう。 自分の本性がそうであるからこそ、逆に、演繹でない、世界全体からもっとなまなましい、しかも現代主義的なんじゃなくて、時間と空間を乗り越えたさまざまな実在から、人間の存在感というものを、受け止めることができる。
それでぼくは民族学(ethnology)をやった。 それはぼくにとって救いだったと思うね。単に哲学だけじゃなくて、民族学をやったのは。 ナマ、無条件である、そっちからこちらにパッと迫ってくるいろんな証拠、生きる証拠みたいなものをつかまえた。それが民族学なんだ。 ----------- →マルセルモースの講義も受け、学者と同じレベルで民族学(ethnology)学び、どん欲に吸収したのが太郎さん。太郎さんは本当にインテリジェンスが高くて、かつセンス抜群のアーティストです。
----------- ピカソと付き合った人は、みんなほれちゃうみたいだね。彼にはそういう人間的やわらかさがあるんだ。 ----------- →ピカソとのエピソードも満載です。 ダリも、岡本太郎に一目置いて注目していた、というエピソードも出てきて、さらに驚いた。 横尾忠則さんも、ダリ邸に呼ばれて訪問した時のエピソードが、「ぼくなりの遊び方、行き方 横尾忠則自伝」に書かれてあったのを思い出す。
----------- 万博会場でゲルニカに直面して感動したのは、つまり社会問題。人間全体の運命というものを直接になまなましくぶつけてきてる。ピカソのそういう絵はそれまではあまり少ない。 新古典主義とか青の時代なんていうのは、情緒的なものが中心になっていたけれども、「ゲルニカ」だけはなまの社会の悲劇というものを自分自身が血だらけになって打ち出している。
あの表現は静であり同時に動である。キュッとしまっていると同時に全宇宙に広がっていくというような感じ。そういう、単に絵として見るんじゃなくて生の事件として―われわれは事件というのは新聞で見たりニュースで聞いたりするようなことを事件と考えやすいけれども、われわれの生命全体、日常の生活は常に事件によって囲まれているわけです。
だからあのピカソの絵を見たときに、ゲルニカの問題じゃなくて自分自身の“いのち”の運命、その悲劇、事件というような感じだったね。 ----------- →本当にその通り。 ピカソが社会問題とリンクしたのは極めて珍しくて、だからこそ「ゲルニカ」の絵は異様なエネルギーを放出し続けている。
----------- ピカソの言葉で、年と共にますます下手に描くから自分は救われるんだ、というのがある。 ----------- →横尾忠則さんも、岡本太郎「今日の芸術」文庫版への前書きで、この言葉、引用していましたね。
----------- ぼくの言う悲劇ってやつはね。悲しいという悲劇じゃないんだ。
悲劇というのは、つまり、そういうすばらしい矛盾をね、平気でひらいている。ドラマだね、運命の矛盾、そこにああいうほほえましいというか晴れ晴れしい悲劇がある。 つまり、悲劇というのは何かというと、矛盾であるわけね。 悲しいことじゃなくて、矛盾が悲劇なの。その矛盾を極限までひらいている。 矛盾が、非常に強烈な形で、楽しくひらいている。 ----------- →矛盾を大切にする生き方。否定するのではなく、逃げるのではなく。 自分はこうした姿勢を岡本太郎から学んだのかなぁ、と改めて。
----------- カイエダールから僕が訳して『青春ピカソ』に載せた言葉だけど、こんなの(ピカソの言葉)がある。
「芸術家の作品が問題ではない、芸術家自体の在り方なのだ。 たとえセザンヌが彼の林檎を十数倍も美しく描いたとしても、もし彼がブランシュ(宮廷画家)のごとき生活をしていたとしたなら私には少しも興味がないだろう。 われわれにとって重大なのはセザンヌの懐疑、教訓であり、またゴッホの苦悩である。 すなわち芸術家のドラマなのだ。 あとのすべては虚偽である。」
「わたしは日毎にまずく描くから救われている」
「今までの絵は、次第にその完成に向かって進んでいった。 日ごとに新しいなにものかをもたらした。絵は蓄積された結果であった。 私にとっては、絵は破壊の堆積である。私は絵を描き、そして直ちにそれを打ち壊す。 だが結局のところ何も失われてはいない。ここで切り捨てた赤は、また別なところに現れる。」
「絵を描きはじめると、よく美しいものを発見する。 人はそれを警戒すべきである。絵を打ち壊し、何度でもやり直すのだ。 ・・・成功は発見を否定した結果である。 そうしなかったら、ひとは己自身のファンになってしまう。 私は私自身を売らない。」
まさに強烈な自己への挑みですよ。一番の敵は自分自身なんだ。 自分と闘え、というのが僕のいつも言っていることです。それとつまり同じことを言ってるんですね。 ----------- →こうした生のピカソの言葉も響く。 そして、岡本太郎の身体を通してピカソがこちらに届けられているということも、すごく貴重だ。
----------- おれは米粒一つくらいのもんだって、でかい物に対して何もひけをとる感じはないわけ。 人間それでなきゃ。絶対観だな。 絶対観で生きない人間は本当の人間じゃないし、まして芸術家じゃない。 ----------- →誰とも比べず、己自身を大切にして、絶対的に生きていく、という言葉は高校生の時、ほんとうに響いた。
----------- さて、二十世紀というのは、ピカソが闘った十九世紀よりも、もっともっと混乱した矛盾だらけの、大変な時代だと思う。 だから、これからいわゆる芸術家だとか、画家だとかいうせまい枠にこだわらない存在が、それをおし進める必要があるんじゃないか。 ----------- →「カタストロフと美術のちから展」@森美術館 を見に行った時に、自分もまさにこういうことを思っていたので、すごく驚いた。ズバリ岡本太郎が表現してくれている。
----------- “遊び”と“お遊び”とは、むしろ正反対のものですよ。 ぼくは芸術はいのちがけの遊びだ、という信念をもってる。 無目的に、冒険をおかし、自分を乗り越え、危険に遊ぶんだ。 そこに、ぱあっと、いのちがひらく。 趣味なんて危険をおかさないでしょう。自分に寄りかかってる。甘えてる気配がある。あれが気に入らないな。 ----------- →子供の遊びも似てますね。命がけで危険なところから飛んだり、ただ歩くだけでも、すぐ転んだりして、でも立ち上がる。誰もが、生きるすべてが命がけだった。
----------- よくこれからの芸術はどうなるかなんて聞く人がいる。 未来の芸術、なんていうのはないんですよ。 真の芸術は、時間と、空間を越えてるもんだ。 事実、たとえば縄文文化なんか、いまから五,六千年前につくられた。 それが、いま非常に感動的に、どの時代よりも現代になまなましくふれて、ビーンとこちらに響いてくるものだ。 だから、芸術に、時間と空間のへだたりはないわけだ。
芸術は時空を超えている。いかに芸術というものは永遠であるか。瞬間であると同時に、永遠である、ということね。 だから、ピカソは、何も発明したわけじゃないと思う。そういうぼく自身もいわゆる発明をするつもりで絵を描いてやしない。 ----------- →いやはや、本当にその通りだ。
----------- 人間というのは肯定されると同時に、否定されているという矛盾のなかに生きているのがいい。 ----------- →これもいい言葉だなぁ。
----------- 私はピカソに無条件に感動した。 だから彼は私にとって外なる存在ではない。 私の心のなか、その奥深くに、いま現に生きているのだ。ゆり動かされ、感動すればするほど、私自身の問題になってひらいてくる。 目の前にそびえたつ強烈な存在を、全精神をもって乗り超えていく。いかなければならない。つまり、己自身を乗り越えることなのだ。それは真の人間的行動であり、芸術だ、と私は信じる。 ----------- →感動っていうのはこういうことでしょうね。 相手を乗り越えようとすることこそ、本当にその人の思いを受け継ぐ、ということのような気さえします。
岡本太郎のメッセージは、今こそ強く、自分に響きます。高校生の時に受けた感動を二重に思い出しながら。