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「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」(キューブリック)

「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」(1968年、監督 :スタンリー・キューブリック)

今まで何度もDVDで見ようとしたが、常にどこかで眠りに落ちた。なぜ急激な睡魔が襲ってくるのだろうと、いつも謎だった。だから、この歴史的名作は、マダラ状にしか記憶がなかった。

この伝説的な映画、製作50周年としてIMAXという大スクリーンで2週間限定で上映されているとの情報を聞き、ちょうど今日11/1が最終日。最終時間でなんとか見てきた(ぜったい見に行ったほうがいい!と肩を強く押されて!)。

頭がうめくほどの感動だった。 脳みそがはじけ飛びそうになった。

まず音楽がすごい。カラヤンのオーケストラ。西洋音楽の極致の世界。そして、機械音と叫び声が混在したノイズミュージックの世界(当時、そんな言葉すらあったのやら。すごい前衛だ)、そして宇宙の音としての完全なる沈黙の世界。 このトライアングルでの音のコントラストが、観る側の意識の流れを、らせん状に渦巻き状に絞り込むように、異世界へと連れていく。

宇宙の旅(Space Odysse)とあるくらいだから未来的な内容なのだが、古代と未来とが鮮やかに接合している。人類が道具を使うという意識が目覚めたこと、その目覚めは暴力とも接続したこと。 人類とは何か、そうした根本問題の提示も随所にあり、素晴らしい。

洞窟の中でおびえて暮らす祖先。洞窟という闇の中で、意識に光をともすものとして芸術が生まれることも関係あるかもしれない。洞窟壁画もいまだに謎をはらんでいるものだ。

AIや人工知能がはらむ問題。現代の科学者全員がこの映画を見てほしい。やはり、AIの進化には、人間の倫理の進化もパラレルでなければいけない。そうではないと、人類は人類の愚かさゆえに自分で自分の首を絞めることになる。

AIの進化をいい契機として、人類が愚かさを克服するいい機会でもある。死活問題として。命がけの問題として。

「信頼」ということに関しても深く考えさせられた。

そして最後のシーンがすごい。 キューブリックが見た鮮明なVision。きっとこれは製作者本人にも意味が分からなかっただろう。ただ、明確なイメージだけが彼に降ろされてきた。謎に満ちたイメージ。

すべての存在は自分の投影なのか。 自分という中にある古代と現代と未来。 人類の誕生と自分という存在の誕生。 そうした4次元的な次元が絡み合う関係性の網。

キューブリックにとっても謎だったイメージを、観客に広く提示し開示することで、謎を閉じずに開いた。次代の創造者たちへと種を撒く。

ひとつ明確なことは、最後のイメージやVisionが「人類」と「生命」と「宇宙」とに関係している、ということだ。 1968年という時代に、未来の人類には、生命主義と宇宙主義の時代がやってくることを予見しているように。

キューブリック監督が世界に開いた謎を、自分なりの課題として受け取りたいと思った。 命が呼びさまされるような、生命記憶が呼びさまされるような体験だった。 やはり、この映画は映画館で見ないといけない作品だったようだ。 いまでも、なにものかが体内で振動して暴れまわっている感じ。 「何か」が、身体の奥深くへと伝播した証だろう。境界を越えてやってきた。

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