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理想とする社会とは?

11月の始まり。

日暮里にある人間禅擇木道場という背筋も引き締まる場所で行われた、作家田口ランディさんのお話会。

  第53回サンガくらぶ講演会

 「幸福に生きるための倫理とは?

  ~オウム死刑囚の大量処刑を機に私たちの信じているシステムをほどいてみる~」

サンガ主催。サンガはいま一番熱くて頑張ってる出版社だ!

サンガが出す心の食事を、いま現代という時代がいちばん必要としている。

(ここ最近のサンガの素晴らしい本のラインナップもご紹介。どんどん良書が出ます。)

ランディさんの話はとても啓発的な内容で、深く考えるきっかけになった。

オウム真理教の話、日本の死刑制度の話、死刑囚とやり取りされた手紙。

そして、北スコットランドの小さな村で行われているフィンドホーンというコミュニティーの取り組み。そこに希望を見る。 実際、ランディさんも「逆さに吊るされた男」河出書房新社 (2017/11/11)を書き上げた後、「日本」や「日本語」と距離を落ちたくなり、このフィンドホーンに行き、場の力で癒されたとのことだ。

フィンドホーンで大切にされていること。 文字で起こすと一見当たり前のように思えることだが、果たして実践できているだろうか。。頭では分かった気になるが、本当に生き方として実践しているだろうか。

オウム真理教の問題も究極的には同じ地平にたどりつきそうだが、

「わたしたちが理想とする社会はどういうものか?」

理想と現実。 頭の中で空想するものと、実際のリアルとは違う。

多くの人間が、いろんな考えをもって生きている。 そこがややこしい面でもあり、同時に面白い面でもある。

人類という種が生まれるまで、生き物は、鉱物と植物と動物、ある全体性のバランスの中で生きていた。

人類、人間は、その精妙なバランスをかき乱すようになった。 そのことも生命の全体像の中に、もともとインプットされていたのだろうか。それとも不確定要素が拡大しただけ?

人類がバランスをかき乱したことで、人間にもその連鎖の網目の目が舞い戻ってくることになる。投げたブーメランが自分に戻ってくるように、天に向けて唾をはくと、その唾は自分にふりかかってくるように。

理想と現実。 理想の社会とは、人間の勝手な空想から生まれてくるというよりも、ないものをゼロから空想していくというよりも、これまでの命がひきついできた流れ、歴史、そうしたことを深く学び、その意思を引き継ぐことでしかできないのではなかろうか。

自分としても、2018年は本を書いて種を撒き、共感し共鳴してくれる多くの方々と出会った。 2019年はその種を収穫し、社会の中で何か別の形を残す年になるのかなぁとも思える。 表現とはまさに芸術の世界なのだが。

田口 ランディさんの「いのちのエール - 初女おかあさんから娘たちへ」中央公論新社 (2015年)という本を読んだこともあり、自分も、佐藤初女さんが実践されていた森のイスキア、のようなことを都心でこそ、やりたい。

以下、フィンドホーンコミュニティの土台となる14の律

ランディさんの翻訳。

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