美術館の処方箋、Dance Well、『鎮魂と再生』としての祭り
へーー!と思った記事の紹介。
医療の枠組や可能性が広がるうれしい記事!!
自分もよく、患者さんへの「個人的な箋処方」として、自然や森に行く、本を読む、絵を見る、絵を描く、イメージ体験を大切にする、夢を見る、音楽を聞く、音楽に関わる、太鼓を叩く、笛を吹く・・・・・いろんなことを宿題のように告げて、次回の時に振り返りのチェックをしたりもしてます。相手の盲点を補う手段として、医療に関わらず、芸術には可能性があるのです。そうした芸術に開かれている臨床医は、自分以外にも多くいることでしょう。ただ、あくまでも個人的な技や趣味の範疇と捉えられている。
こうして記事で、カナダの事例が世界初!と称される大きな理由には、公的な期間が認めた、ということでしょうね。
では、日本はどうか?
日本は、歴史的に見ても黒船のように外圧がないと動かないから(逆に、コロット変わるのが怖い面でもある)、そうした日本という国の心理状況に沿うように事を運んでいく必要があるみたい。いわゆる、段取り、っていうものです。
ただ、医療の可能性をもっと広げた方が、自分は扱える範囲ももっと広くなるのではと思う。既得権益として狭く閉じ込めるのではなく。
●カナダ・フランコフォニー医師会(MFdC)はモントリオール美術館(MMFA)と提携し、心身にさまざまな健康問題を抱えた患者たちとその家族など同伴者が、無料で美術館に入館して芸術の健康効果を体験できるよう取り計らう。
→ほんとうは、ただ美術館に行かせて終わり、ではなく、そこでどういう体験をするのか、その芸術の世界への「導入の仕方」こそ工夫することが大事だと思う。心の柔軟体操をしてから。そこには呼吸法や瞑想なども登場するでしょう。
●1年間の試験プロジェクトに参加した医師は、治療中の患者に最大50回までモントリオール美術館の無料入館券を処方できる。
→処方箋が薬だけではなく、美術館への入館券を含め、音楽なども含め、広く芸術と結びつけることができたらいいですよね。
現状では、僕ら臨床医の個人的な努力に過ぎない、個人が勝手にやっている、とされてしまうの辛いところで。
相手のことをほんとうに思ったら、薬以外にももっと選択肢はあるもので。
●「患者が希望するなら代替療法にも対応する気配りと寛容さ」が医師らにあるという証しだと述べた。
→そうそう。偏見は根強い。もちろん、光あれば影はあるからなおさら。ただ、いい面と悪い面とは必ずすべてに同居している。だからこそ、影だけではなく光を、光だけではなく影を、両面を見る必要がある。光が強くなれば影は深くなるものだから。
●芸術が健康に及ぼす好影響は、患者が体を動かすと得られる効果と似ているとされる。「快楽ホルモン」と呼ばれるドーパミンの分泌量も体を動かしたときと同程度で、慢性的な痛みやうつ症状、ストレスや不安などの緩和につながる。
→やはり、こうした「科学的」とされる説明がされないと、一般の理解が得られない、というのも不思議なところで・・。
あまり芸術の本質とは関係がないのでは?
しかも、こういう場合によく使われる「科学的説明」「科学的根拠」とされるものは、単に科学用語で現象を言い換えただけ(セロトニン、ドーパミン、、、、)に過ぎないことが多く、実は本質を何も説明していない・・。自分は本質を煙に巻くために科学用語を使いたくないな、と。
●パロン会長は、カナダ国内の他の美術館でもこうしたプログラムが導入されることを期待していると語った。
→日本でもぜひ!!!
●モントリオール美術館では2016年から、さまざまな病気の患者を対象にしたアートセラピーの専門家養成を行っている。
→日本でもぜひぜひ!!!!!
-------------------------- 世界初、治療として患者に美術館訪問を「処方」 カナダ医師会 2018年10月26日 16:18 発信地:モントリオール/カナダ [ カナダ 北米 ]
【10月26日 AFP】
カナダの医師会が、患者の健康回復を促進する治療の一環として、美術館への訪問を「処方」することになった。世界初の試みだという。
カナダ・フランコフォニー医師会(MFdC)はモントリオール美術館(MMFA)と提携し、心身にさまざまな健康問題を抱えた患者たちとその家族など同伴者が、無料で美術館に入館して芸術の健康効果を体験できるよう取り計らう。
1年間の試験プロジェクトに参加した医師は、治療中の患者に最大50回までモントリオール美術館の無料入館券を処方できる。処方箋1枚で、大人2人と子ども2人までの入館が無料になる。
MFdCのニコル・パロン(Nicole Parent)会長は25日、AFPの取材に対し、既に医師100人がプロジェクトへの参加を表明したと明かした。 その上で、科学的に証明された芸術の健康効果に言及し、この参加人数は「患者が希望するなら代替療法にも対応する気配りと寛容さ」が医師らにあるという証しだと述べた。
芸術が健康に及ぼす好影響は、患者が体を動かすと得られる効果と似ているとされる。「快楽ホルモン」と呼ばれるドーパミンの分泌量も体を動かしたときと同程度で、慢性的な痛みやうつ症状、ストレスや不安などの緩和につながる。
パロン会長は、カナダ国内の他の美術館でもこうしたプログラムが導入されることを期待していると語った。モントリオール美術館では2016年から、さまざまな病気の患者を対象にしたアートセラピーの専門家養成を行っている。
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四国こどもとおとなの医療センター(ホスピタルアートディレクター(森合音さん))の取り組みもあるし!!
<参考>
これも素晴らしい!
アートなのか医療なのか、その線引き自体を疑っているわけで。。。
身体を動かす、という意味では、どんな人にも平等に開かれている。
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パーキンソン病の人たちの「ダンス・ウェル」 「セラピーではなく、アート」
金沢 講師に なかむらくるみさん
手足の震えや体のこわばりなどが起きる難病、パーキンソン病の人たちを対象にイタリア・ベネト州のCSC現代演劇センターで行われているダンスプログラム「Dance Well(ダンス・ウェル)」のワークショップが四日、金沢市の石川県立歴史博物館であった。美術館や博物館などアートの場を会場として行う表現活動の一環であること。日本では初めての試みだが、参加者らは約一時間、伸び伸びと体を動かし、笑顔を見せた。
ワークショップは、ダンス・ウェルの普及のために同センター責任者でダンス・ウェルを主宰するロベルト・カザロットさんらの来日に合わせて開催。講師は、同市を拠点にする振付師・ダンサーのなかむらくるみさん(29)が務めた。もともと金沢で障害者のダンス活動に取り組み、この夏にイタリアで開かれた研修でプログラムを学んだ。
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ワークショップにはパーキンソン病の人のほか、なかむらさんとともにダンスを楽しむ知的障害や身体障害のある人、金沢21世紀美術館の関係者、一般からも含め約三十人が参加した。
まずは、座ったまま自分の体をさわったり、ゆっくりとした深呼吸から。静かな音楽を聴く、音に合わせて体を揺すってみる、相手の顔を見続ける、指で点を打つような動きをしてみる、体を使って名前を書く、手をつないで軽く握手、体をオリジナルな動かし方であいさつ、ペアで片方の動きをまねてみる…。
目を合わせにくい、狭い場所を通るのが苦手など、病気の特徴を考えた上でのプログラム。なかむらさんが声をかけながら体を動かすうち、表情がほぐれ、生き生きとしてくる。
画家の鈴木治男さん(71)=石川県小松市=は家族と一緒に参加した。二〇一三年の春にパーキンソン病を発症し、今は技法を変えながら制作を続けている。「温かい気持ちが生まれてくる。いろいろな年代の人、障害のある人とも交わりながら、柔らかな気持ちで体を動かせた」と笑顔を見せた。
パーキンソン病友の会石川支部の日向浩一事務局長(64)によれば、支部の会員は百十人。県内の患者数は約千百人とみられるという。二十四歳で発症したという岡田芳子さん(68)=同県白山市=は「パーキンソン病では表情を出したり、目と目を合わせたりしにくく、感情を表現するのが難しいが、特徴について考えられていた。体を動かすことへのモチベーションをつくり出すところがすごくいい」と話した。
◇
ダンサーでもあったカザロットさんが重要視するのは、美術館や博物館などアートの場を会場にすること。「治療やセラピーではなく、あくまでアート」と強調する。現地では最初は十人ほどでスタートしたが、一定の期間を経て、ダンスなどのパフォーミング・アートのフェスティバルにダンサーとして出演するほどになっているという。
なかむらさんはダンサーとしての活動の一方、市内の福祉施設などでダンスやヨガを教え、昨年は21美の企画「カナザワ・フリンジ」で知的障害者とパフォーマンスを披露。今春には近藤良平さんと障害者ダンスチーム「ハンドルズ」(さいたま市)の金沢公演に参加した経験がある。
カザロットさんは今後の活動に向け「地域の中で活動が孤立しないようにすることが大事。イタリアでも病気以外の若者や高齢者らにも開かれた場にし、定期的に誰もが参加できる環境をつくった」と話す。
イタリアでは「市の直営で行われている」といい、資金面を含む支援をどう集めるかが課題になる。なかむらさんは「参加者のほか自治体、企業などとも協力して継続可能な活動にしたい」と、協力を呼びかける。
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次はオリンピック関連の記事。 やっぱり萬斎さんでヨカッタ!!と感動。
萬斎さんの深い思索とイマジネーション。オリンピックの歴史に残る舞台になると思う。
あらゆる先人たち、死者の思いを受け止めて・・・。
自分も、「ころころするからだ」の中では、第4章に『地球規模の「ひとつの体」を学ぶ-体育と医療』という章を立てて、オリンピックの歴史(古代オリンピック+近代オリンピック)も踏まえながら、東京オリンピックへのヴィジョンを提案しています。
二年前、『MANSAI 解体新書 その弐拾六』(芸術監督・野村萬斎、音楽家・大友良英・稲葉俊郎 鼎談) @世田谷パブリックシアター(2016/7/30)(→HP、PDF)で野村萬斎さんと共演させてもらったこともあり、萬斎さんにもこの本はお送りさせていただきましたー。読んでもらえていればうれしい!
「思い上がりすぎた」人間に伝えたいこと
●狂言の目線として『この辺りの者でござる』というのがあります。この世のこの辺りには人間だけでなく、キノコやらおサルさんやらキツネがいる。ゴジラさんだってこの世に生まれてしまった限りは『この辺りの者』なわけですよね。その存在を否定すること自体が狂言にはなくて、狂言の精神はまさしく多様性をはらんでいる。それがそのままゴジラにも通じた。ゴジラは善悪ではかれない存在だし、人間だって生まれることについて善悪はない、そういうことにもつながってくるんですね。
●古典芸能は、デジタル化した世の中から隔絶した感がある。でも我々は、デジタル的な記号論として型を身につけていたりもする。そうした型という記号あるいは方法論を、ゴジラを通してとにかくデータ化・デジタル化できた。つまり型はデジタル化できるものなんだ、デジタル化に適しているという感覚を非常に持ったんですね。その時に、あぁ我々は決して古いことをやっているんじゃなくて、昔の日本人が考えたことはある種、今の仮想現実(VR)そのものなんだと。脳内でやった阿鼻叫喚の地獄図を(ゴジラで)現実に見せる。我々は決して600年前のことをやってるんじゃなくて、伝統は現在までつながっている、点と点ではなくて線状につながっている。一種、アップデートに近いですね。
●五輪・パラリンピックの開閉会式をやるなんて、昔でいうと『勧進能』をやるみたいなもんかなあ(笑)。だって政府から頼まれて何かするなんて、将軍・足利義満が世阿弥に何かしろっていうのと似た状況かな、って思ったりします」
●我々には祭りの概念がある。お盆も含め、すべての日本の祭りはほぼ、魂をお迎えして鎮め、魂送りをして、死を意識する。祖先の死の上に我々が成り立っている生を感じることで、次なる生に祈りを捧げる。まさしく『鎮魂と再生』ですよね。戦争などによる死を伴ったりすることなく、スポーツで競い合う平和の祭典として、そういう死生観も含めて、生きることへの祭典にしたい。『三番叟』もそうですけれど、魂を召喚するお祭りごとは、あの世や神のステージ、違うステージへ行くということ。死と再生の両方を行き来してみせなきゃいけない。そうしたノウハウや精神が日本にあるというのが今回の売りです。(1984年の)ロサンゼルス五輪はド派手だったし、まさしくアメリカ的な物量主義や大国的な発想があったと思いますが、次にやる時は何をもとにするのかな、というのは興味があります。アメリカ先住民の精神にのっとる方が人間的なのかな、とかね
●僕らももうちょっと、人間中心でない目線を持って、という気がします。中世の芸能の血を引いてるから、こういう目線になるんだろうな。