『イケムラレイコ 土と星 Our Planet 』国立新美術館
国立新美術館に『イケムラレイコ 土と星 Our Planet 』を見に行きました。とてもいい展示だった。
イケムラレイコさんはドイツを拠点に活動しているアーティストで、絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真など、あらゆる表現を駆使している。 海外では著名な方だが、日本でこうして全貌を見れる展示は珍しい。
以前、イケムラレイコさんのInterviewを見たとき、「まだ日本は戦争が終わっていない。戦後は続いている。」と語っていて、自分もまったく同じ思いを抱えていた。そうした時代の危機意識を世代を超えて共有できたことが、イケムラレイコさんが気になるきっかけでもあった。(そして、そのことは村上春樹作品から感じ続けていることでもある)
お客さんが来やすい印象派、ピカソ、ゴッホ、、、というキーワードが並ぶ展示も大切だが、こうして東と西の世界観をつなげる仕事を地道に続ける表現者をちゃんと取り上げてくれたことはうれしい。売り上げや集客ではなく。
見ている側としては静かな空間で見れる展示は最高で、空間全体と作品の配置とがよく際立っていた。集客と展示、このバランスは主催者もほんとうに難しいと思うが、よく英断してくれた。
たとえば、草間彌生さんは確かに全世界で有名だ。それは彼女のキャラクターや、作品がグッズ販売されやすいことなど、急速に伝播するVirus的な性質を持つ作品であることも一因だろう。アートとエンターテイメント、マニアとポピュリズム、プライベートとパブリック・・・このあたりのバランスは本当に繊細な問題で、一概にいいとか悪いとか言える問題ではない。時代背景もあったり、周囲の戦略もあったりする。それと作品の質とは本来無関係だ。
イケムラレイコさんも、草間さんと同じ東洋の女性として、質の高い作品を作り続けている人である。そこには哲学があり、ゆるぎない芯がある。
特に「自然」と人間との関係性において、東洋的なあいまいさ、自然と人間界とを自在に行き来する浮遊感と融通さ、そして、動物性だけではない、植物的で鉱物的な生命観、そうしたものが作品の中に込められていた。
一見すると優しく手触りのいい作品に見える。 が、生で見るとそこに込められたエネルギーの熱量は強く激しいもので、死と再生の祈りが強く込められたものだった。
一部の作品が撮影OKで、彫刻作品や、うさぎ観音。そして最後の空間で待っている浄土に包まれる空間作品。
作品を見ながら、自分は諸星大二郎の漫画をときどき思い出した。彼も、常に異界への入り口であったり、異界なるものの生命の世界を執拗に描く漫画家だが、それは翻って人間界を支えている生命の母体のようなものを描いていると、自分は思う。
2014年ころに見た国立新美術館での「中村一美展」も、解釈や理性を拒む激しい抽象とイメージの洪水で、「不思議」を全身で浴びるほんとうに素晴らしい展示だった。が、身に来る人はあまりおらず、だからこそ作家から貴重なメッセージを受け取った気になる親密なものだった。
「中村一美展」の時のキャプションは、「絵画は何のために存するのか 絵画とは何なのか」とあった。
イケムラレイコさんは『土と星 Our Planet』。わたしたちの住む惑星の母体(母胎)を考える。生命はどこからやってきたのか、土と星とは。生命の由来を親密に考えさせてくれる素晴らしい展示だった。
5年前の中村一美さんの作品同様、今回のイケムラレイコさんの作品も、じっくりと静かな空間で作品を見たい方にはうってつけの展示。
絵画を見たり、作品を体験することには、いろいろな意味があると思う。
自分は、ただ空間にいるだけで、体全体が作者と同じ風景を見て感じているのではないかと思う。頭が認識できなくとも。脳の視覚としての目ではなく、体全体のアンテナとして、触覚として。わからなくても、感じればいい。
イケムラレイコ 土と星 Our Planet 2019年1月18日(金)~4月1日(月) 毎週火曜日休館 国立新美術館 企画展示室1E http://www.nact.jp/exhibition_special/2018/Ikemura2019/
<展覧会概要>
長くヨーロッパを拠点に活動し、国際的にも高い評価を得ているイケムラレイコの大規模な個展を開催いたします。
イケムラレイコは、1970年代にスペインに渡り、その後スイスを経て、1980年代前半からはドイツを拠点に活躍してきました。絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真など、イケムラが手掛けるメディアは多岐にわたります。それはイケムラが、何かが生まれる途上に潜在している、いまだはっきりとは見えない無限の可能性を表現するという独創的な芸術的課題に、多様なメディアをもって挑んできたことの証でもあるでしょう。本展覧会では、そのような不可能にも思える目標に真摯に取り組んできたイケムラの創造の軌跡を、約210点の作品とともにご紹介します。
スイスで本格的に画家としての活動を開始したイケムラは、1983年にドイツに移りました。当時の絵画を席巻していたのは、力強い色とかたちで、人間の生の感情を表出する新表現主義と呼ばれる動向でした。イケムラもまた、女性であること、そして異邦人であることの困難に抵抗するかのような荒々しい絵画や、多様な線で構成されたユーモラスで人間味あふれるドローイングなど、実験的な試みに没頭しました。そうした制作を経て、1990年代以降に現われてきたのは、名もない小さな動物や無垢な少女たち、母と子、木々や山と一体化した人物、誕生と死を含みこむ神話的な原始の風景などでした。
人や自然をコントロールし、体系化することによって成り立つ今日の社会は、自然災害だけでなく、原発の事故など、人が作りだしたさまざまなひずみによって揺さぶられています。うつろな空間に漂うはかなげな少女や、現代美術で正面から取り上げられにくかった母と子の像、そして、幻想的な、自然と一体化した小さな生きものたちのすがたには、この世に生まれでた、あるいは、これから生まれいづるものたちの存在の多様性を、あるがままに受け入れようとする強靭な思想が感じられます。寡黙でささやかな、自らのうちに深く沈みこんでいく内省的な作品世界は、まさにこの点において、きわめて今日的な批評性に満ちています。それは、日本とヨーロッパという異なった土壌で鋭敏な感覚を磨いてきたイケムラだからこそ見出しえた、啓示に満ちた景色でもあるでしょう。
2011年に東京国立近代美術館と三重県立美術館で開催された「イケムラレイコうつりゆくもの」展以降、イケムラは、社会に向き合う態度をより意識するようになったといいます。本展覧会は、独創的な創造活動により、破綻しかけた社会の構造にまで切り込もうとするイケムラの芸術をたどりなおし、多面的に追体験できるように、16のインスタレーションの集合として構成されています。展覧会のクライマックスには、近年の総合的な世界観を、神話的な空間に表出した大型の風景画の部屋が現われます。展覧会を通じて、そうした景色の向こうに広がる世界を、多くの来場者とともに考えることができれば幸いです。