花は心に波紋を起こす
冬にためられた行き場のない閉じられた自然のエネルギーは、花の開花という形で象徴的に「開かれる」。
週末は伊東、熱海、小田原に行ったが、どこへ行っても花が開いていて、植物を介して地球の毛穴が開いているようだった。
伊東や熱海に行った。どちらも温泉地。
内部をうごめく地球のエネルギーは、出口を見つけると時に表に露出して宇宙とつながろうとする。
噴出口は地球内部と宇宙とをつなぐホールとなり、そこは古来から人々が自然に集まってきた場所。
ある時には温泉という涅槃(ニルヴァーナ)を求め、あるときには自然への畏れ、畏怖を思い出す場所として。
熱海の砂浜では、子供と大人でみんな都市をつくった。
砂浜に穴があり、そこをきっかけとして自然発生的に産まれた遊び。 どうやら人間は都市をつくる本能があるらしい。
穴と穴をつなげ、砂を掘っていくと自然に形が生まれる。
砂でつくった都市に海水を流して見ると、人間の浅はかな意図を超えて、水のエネルギーによって自然な造形へと変貌する。何度も何度も繰り返していくと、自然そのものの形へと移ろう。
砂の都市に水を流す行為は、都市の灌漑設備をつくる人間の視点も芽生え、
同時に自然現象そのもの、神の視点で地球をながめることにもなり、とっても想像力が刺激された。
海から海へ、海岸を移動中のこと。
車の助書籍に乗っていて、あ、この光景どこかで見たことある、と思って写真を撮った。 タイムラグがあって、脳内のイメージと写真とはずれてしまったが、 デジャブのイメージは、後期Bill evansの名盤「I will say goodbye」のジャケットだった。
よく考えたら、橋は、島と島をつなぐ、離れた異質の世界をつなぐモチーフ。 それは、砂浜の砂で都市を作っていた時にも感じていたこと。
人は、本能的に異なる世界に橋をかけたくなる。
海面に鳥が着地すると、波紋が生まれる。
波紋は周囲に伝播し、やがて場の中に吸い込まれていく。
波紋は小さくあるのだが、見えなくなる。
この光景をじっと見つめていた。
存在する、という現象もこうした光景かもしれない。
ただいるだけで、存在の場が波紋のように伝わっていて、空間に影響を与え合い、相互に受け取りあっている。
距離が近いと波紋の影響を強く受け、遠いと微かな影響を受ける。
存在の波紋が見えなくなっても、無限遠にまで微かに微かに伝わって、場へ影響を与えている。
二度と同じ場が再現されることはない。
ある場に、やってくる。そして、場から離れていく。
こういう光景が日常的に無限に繰り広げられているので、存在の波紋を感じにくくなっているだけなのだろう。