クラウゼヴィッツ『戦争論』
クラウゼヴィッツの『戦争論』を読んでみた。
西洋医学が健康を知るために遠回りのようにして病気を学ぶのだとすると、平和を知るためには遠回りでも戦争の本質を知らないといけないのではないかと、ふと思ったから。
こどものときから、なぜ戦争が起きているのか、なぜ地球は平和ではないのか、その時から気になり続けていることだから。
上下巻で大分量の本でてこずった。でも、一度は読んでみたいと思った。
プロイセンの軍人であったクラウゼヴィッツが生前執筆していた原稿を、死後に妻が公刊したらしく、本人は第1部のみが完成稿だとしている。
戦争とは「相手に自分の意志を強要するための暴力行為」であり、戦争で使われる手段は、「武力による決定」という性質があるとのこと。
ナポレオンは、敵戦力の完全な撃滅を行い、ナポレオン以降、戦争観は一変した。 そのことを絶対的戦争と言う。
暴力の極限行使は、暴力の応酬、恐怖の増幅、力の増大(極限化)となった。第一次、第二次世界大戦へとつながった流れだろう。歴史的に見ると、「闘い方」の変遷がよくわかる。
戦術や戦略に関する膨大ことも書いてあったが、それは割愛。
ただ、すべてを体の中で起きているメタファーとして読みかえてみると、自分としては興味深かった。
戦争の考え方は、自分自身の生命への見方にも、大きな影響を与えている。 闘病という言葉が当たり前になったように、体の闘い方もいつのまにかに変化したのだろう。
鶏が先か、卵が先か。
ただ、自分は医療者として思う。 わたしたちの内なる生命という場を、平和構築の重要な教材として、理解の基礎として提案したい。 戦いの場ではなく、共存、共栄、友好、理解、多様性の場としての体、心、いのち。それは人種や宗教を超えて普遍的なはずだから。
そうして読み直すと、 「相手に自分の意志を強要するための暴力行為」や「武力による決定」以外のアプローチは、生命のあり方からこそ学べると、読後に改めて思う。