NHK出版 学びのきほん 「役に立つ古典」(安田登)、「ブッダが教える愉快な生き方」(藤田一照)
NHK出版 学びのきほんの安田登先生「役に立つ古典」面白いなぁ!
古事記、論語、奥の細道、中庸、の古典での、安田先生ならではの読みが楽しめる。値段も670円でリーズナブル。
ちょうど今、響いたのは、孔子の『論語』での話。
孔子は紀元前500年ごろの人で、「論語」は孔子の死後400年後に作られた。 400年!という開きはかなり大きい。
だから、「論語」の中には、孔子が生きていた時代にはなかったはずの漢字が使われている。だから、孔子の喪とのイメージはなんだったのか?漢字から孔子の原イメージをさかのぼろうという試み。
有名な「四十而不惑(四十にして惑わず)」という言葉がある。 ------------- 子曰、 吾十有五而志于学、 三十而立、 四十而不惑、 五十而知天命、 六十而耳順、 七十而従心所欲、不踰矩。
子曰く、 吾れ十有五にして学に志ざす。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳従う。 七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず -------------
ちょうど自分も40歳なので、よくこの言葉を考えていた。 一般的には「不惑」、惑わない、という意味だ、と。
ただ、孔子の時代に、「惑」という漢字はなくて、 実は「不惑」ではなく「不或」が原義で正しいとのこと。
では「不或」の意味は何か?
それは、「四十にして区切らない」という意味。
つまり、「自分を限定せずもっと可能性を広げ、チャレンジしなさい」という意味とのことだ。
40歳で悩まない、惑わない、という意味ではなく、 むしろ、40歳になったら、自分の経験を一度すてて新しいことにチャレンジしろ、という意味らしい。
ちょうど40歳の今の自分の背中を押すようで、心に響いた。
他にも、「温故知新」の意味。 「温故」は、既存の知識(故)を、ぐつぐつ煮て温める。 「温故知新」は、元々は「温故而知新」で、「温故」と「知新」の間に、「而」という漢字がある。 この「而」は、奥深くで見えないうちに何かが変化する魔術的な時間のこと。 発酵の時間を経て「知新」が現れる。
「温故知新」とは、既存の知識を発酵させていると、新しい視点が突如として現れる。そうした精神作用が「知」ということらしい。
他にもたくさん面白い話があって、大いに勉強になった。 最近、広尾での安田先生の寺子屋にも行けてないし、いい刺激!
藤田 一照さんの「ブッダが教える愉快な生き方」も同時発売で、「愉快に生きること」。これは今自分が芸術とはなぜ必要なのか、でいつも感じていること。
たとえば、子どもは水たまりを見ると、そこに飛び込んで遊ぶ。どんな少しの時間も無駄にせず、生きる時間を目いっぱい楽しんで生きている。
そういうことを思い出すのが、芸術の力じゃないのかなぁ。
自分は、「あたま」の理屈の世界ではなくて、もっと深い「こころ」や「からだ」や「いのち」の働きの中にこそ、芸術の大切さを見ているし、そのことはブッダの生きざまと同じだよ、と言っているのが一照さんの本かなぁ、と思う。
ぜひ読んでみてください!(^^