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小関勲, 甲野善紀「ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ」

小関勲さんと甲野善紀さんの「ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ」日貿出版社 (2016年)

自分も愛用している「ヒモトレ」を語り合った本。

「ヒモトレ」は本当にすごい。

暮らしのおへそ vol.26、に出たときも、写真と共に軽く紹介してる。

1本の紐をゆるっと巻くだけで、体本来のニュートラルな状態を維持する「ヒモトレ」を実践中。

 

ただ体にゆるくヒモを巻くだけで(きつく巻くのではなくて、そっと触れて添えるくらいに巻くのがポイント)、驚くほどからだの全体性、協調性がはかられる。 PC作業の時、移動の時、あらゆるときに自分も自分の体で実験している。

ヒモトレの効果はどう理解すればいいのか分からないほど、からだの神秘を感じるものだ。

からだは全身にセンサーがあり、あらゆる環境から情報を受け取り続けているようだ。

体はバランスをとろうと、整おうとしている。 その体を信頼する。

ヒモトレはとても普遍的で簡単で、世界で最初に高齢化社会に突入する日本から、身体への深く普遍的な知見を深めていく必要がある。

今後のヒモトレの可能性としては、体だけではなく心の問題もある。心身一如と言われるように、心と体は深く結びついている(むしろ一心同体だ)。

心におけるトラウマやPTSDは、同じ状況が再現されると、体の記憶が引き金となり、フラッシュバックが起きる。 そのとき、辛い心の体験を受け止めることができる体を準備しておけば、心も体も困難を乗り越えることができるかもしれない(個人のレジリエンスの違いも、体のこととして還元できるのかもしれない)。そうしたPTSDに対するヒモトレの可能性も少しだけ書かれていて、自分もこの辺りを個人的に追及してみたいところだ。

あと、はちまきの結び目とからだの関係も面白い。 はちまきの結び目が額にあるのか、後頭部なのか、側頭部なのか?それだけで体に与える影響は変わる。

前野隆司先生と甲野善紀さん対談前に、ふと気になって再読した。

 

8月になると戦争のことを考える。 多くの人が戦争に巻き込まれた。 多くの人が発言を禁止され、行動を禁止され、体も心も強い禁止がかかった。それは、命がけのものだった。

いま、色んな人が自由に発言している。 「表現の不自由展」でも、そもそも現代という時代の自由さが前提にあるが、その自由とは先人が命を懸けて獲得し受け継がれたものだ。そして、自由にも、さらに前提としての平和がある。そもそも、戦争になったらすべては根底からひっくり返るだろうから。

学校で学んだ歴史の授業は、ほぼすべて人類の戦争の歴史だった。(自分は学生時代、そのことも不満だった。戦争の数だけ、平和を願った人たちの歴史もあるはずだから。潜在意識の中に、人類は戦争をする生き物だと刷り込まれているようで、自分の無意識は強く抵抗していた。)

では、今の時代に生きる人が、過去の辛い歴史から何を学ぶのか。

戦争や平和のことは、おそらくまったく違う観点からでしか解決できないのではと思う(なぜなら未だに解決していないから)。 だからこそ、フレームの外から、より広いフレームで捉えなおせば解決できるのではないか。

自分は、その入り口は人間のからだ、いのちへの理解にあるのだと思う。

遠いようでも、一番近い道は、そうしたいのちのことを、人間だけに限定せずあらゆる生命の関連と深く理解することだと思う。

具体的にどうやって生命は生まれてくるのか、生命はどうやって生きているのか、生命はどうやって死んでいくのか。そして、個人の生命の前提にある、あらゆる生命の歴史のこと。

だから、自分はからだ、こころ、いのちのことを、もっと深く知りたい。それは個別の道を通り、普遍へと壁抜けしていく見えざるルートなのだと思うから。

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