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「稲と日本人」福音館書店 (2015)

甲斐信枝(著), 佐藤洋一郎(監修)「稲と日本人 (福音館の科学シリーズ) 」福音館書店 (2015)はすんごくいい本だったなぁ。

この本を読むと、日本も戦前のつい最近まで「飢餓」や「飢え」との果てしない闘いの中で、なんとか生き延びてきて、その子孫がわたしたちなんだなぁ、と痛感させられる。

狩猟から農業へと移ったことで、人間社会に階級社会や貧富が生まれたとも考えられている。

ただ、やはり生き物にとって「生きる」ことは何よりも至上命題で、「生きる」ために「食べる」。

安定的な「食」を確保することがどんな生き物にも最重要課題だった。

約2億年前に地球上に生まれた稲という植物を人類が発見したことで(そもそも野生稲が2億年近く生き延びてきたおかげで)、人間は数万年前から稲を食べ始めたらしい(中国の長江辺り)。

その後、1万年前には、食べにくく栽培しにくい「野生稲」を、人が食べやすく栽培しやすい「稲」にまで作り変えた。

稲作によって、土地を開墾し、適切な水路をひけば、獲物や果実を求めて移動する必要なく、定住による生存確率が高くなった。それは村、都市、文明を生む母体になっただろう。

こうした定住生活の始まりが、「土地」への所有意識の芽生えでもある。土地を多く持つものが、多くの実りを得れる。より多くの土地を所有したいと思う。土地所有の原初の欲望は、農作物や食と土地との関連があっただろう。土地の獲得合戦の始まりはここにあり、今に至る。

そうは言うものの稲作も天候の影響を受ける。

日本は常に飢饉、飢えとの戦いだった。

天明の大飢饉(1782-1787年)は、6年もの間、日本中を大飢饉が襲う。浅間山の大噴火もこの時期に起きて、特に東北は火山灰の影響もあって何も農作物が育たず、2600万ほどの日本人の100万人は飢え死にしたと考えられている。

享保の大飢饉(1732年)でも100万人近くが餓死したとされるから、当時の人々にとって、生きる事と食べる事がいかに切実に直結していたかがよく分かる。

稲作をして生存するために、水枯れが多い香川では、水甕としての人工池をつくって飢えをしのいだ。

静岡県の深良村に水をひくため、神奈川県箱根の芦の湖からつるはしとノミだけで4年かけてトンネルを掘った(江戸の商人、友野与右衛門 「箱根用水・深良用水」)。

常に飢饉に襲われて苦労が絶えなかった東北に、どんな環境でも生えてくる強い稲をつくろうとした人がいた。

山形の百姓である阿部亀二は、稲がまったく育たない不作の水田の中で、三本だけ黄金色に輝く稲穂を見つけた。その三本の稲穂の種を大切に集め、毎年毎年選別を続けて、寒さに強く美味しいイネを創り上げた。

阿部亀二の「亀の尾(カメノオ)」という品種は、稲の子孫としての「コシヒカリ」や「ヒトメボレ」や「ササニシキ」の品種へとつながっている!

画像は上記HPより

 

こうして、土地に生きる百姓さんたちが選別して品種改良し続けた稲は、戦前での国の調査では4000種類!!にも多様化していたらしい。戦前まで、国がお米の品種を管理することはなく、各地の人が独自に稲の品種を保存して伝えていた。

戦後、アメリカから農薬が輸入され、化学肥料も発達したおかげで、日本中のどこでも自分の作りたい稲が作れるようになった。それまで、飢えに苦しみ続けた日本人には福音だっただろう。毎年失敗を重ねてきた稲が、簡単に実るようになったのだから。

ただ、そのことで在来種はどんどんすくなっていって、戦前に4000種類あった稲の品種は、今は10種類くらしかなくなっているとのこと。

2億年前に生き延びてきた野生稲を1万年前に人類が発見し、土地に応じた気候で育つように品種改良し続けた4000種の稲が、戦後の数十年で10種にまで減少していることには驚いた。しかも、それは自分の祖母や両親、自分たちの世代の話だ。

野生の力を失った稲は、人が世話しないと決して育たない植物へと変貌を遂げ、今に至っている。

戦後の田植え機の発明も含め、稲作は変化し続けているが、飢えから生き延びようとしてきた植物と人間との共生関係の本質は変化していないと思う。

 

水が枯れる、水に溺れる、水をひく、水路つくる、水を循環させる・・・・

自分は相手の心の状態を見る時、いつもこうした水と心との関係性を基礎にして考えているが、これは人類が格闘してきた人類史が、自分の細胞の奥深くにも刻まれているのかもしれない。

「稲と日本人 」福音館書店 は、子供向けというより、今生きる人たち、食を扱っている人たちみんなに読んでほしい本だなぁ、と思った。

この本には宗教のことは書かれていないが、元々、日本の神様はこの農作や五穀豊穣の神様が多い。

天孫降臨神話も稲穂を渡すシーンがあり、お稲荷様も、狐のしっぽが稲穂に見えることもあって、あの世とこの世の往来をしながら食をつかさどる神様だし、伊勢神宮の外宮はもとより、あらゆるカミサマに形を変えている。それは、生きることが切実だった人たちの思いの結晶でもあるのだろう。

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