イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』@東京芸術劇場
イキウメの『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』@東京芸術劇場 を見た。
イキウメの演劇はずっと見続けているが、今回はさらに新しいフェーズに入った。前川広大さんの新境地だ。これまで以上に深く心に染み入った。
小泉八雲の怪談(不思議な話)をベースにして、複数の話が骨格のように命を構成する。
怪談がベースと言っても、前川さんが描く世界は、ただ恐怖を表現している世界と、明確に違う。
私たちは、この常識的な世界(common sense)だけに住んでいるのではなく、異なる別の世界が多層的に重なり合っている。それぞれに理(ことわり)がある。異界の理(ことわり)を理解しないと、無知による恐怖の対象となる。異界にも幽霊にも死者にも、それぞれの道理や礼節がある。そうしたことに敬意を払いながら共生していく。前川さんならではの優しい俯瞰的な眼差しが、演劇に別の命を付与しているのだ。
今回は、小泉八雲だけではなく、日本の3大怪談話の一つとしての『牡丹燈籠』という古典も物語の構造に取り入れられていた。(牡丹燈籠は落語や歌舞伎で有名。ちなみに、日本の3大怪談は『四谷怪談』(お岩さん)、『皿屋敷』(お菊さん)、『牡丹灯籠』(お露さん))。
「牡丹灯籠」月岡芳年(1889年)
古典と現代演劇とが複雑な縦糸と横糸となり共存する。つなぐ媒体は魂であり、「いのち」だ。観劇後に深い感動が訪れてきた。牡丹灯篭がより深く感じられた。
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深く結ばれた関係性というものがある。
それは家族であったり夫婦であったり恋人であったり親友であったり。不可視の力は愛と呼ばれるが、愛は時に支配や束縛や執着の力へも変容する。それは関係性の強さゆえの副作用だ。
もちろん、強い関係性はいいことばかりが起きるものではない。関係性の強さゆえに起こる衝突も起こる。
でも、それは別の角度から見ると、強い関係性を持つもの同士でしか学びあえない深いものを教えあい、学びあっているともいえる。不幸や苦難は別の角度から見ると学びの階梯のステップだ。人は何かを失うとき、必ず何かを受けとり、学び成長している。成長するためには、楽しさやうれしさだけではなく、悲哀のような強い感情を乗り越えていく必要もある。悲哀は、日本の古典作品や芸能がもっとも大切にしたテーゼ。
怪談は、ただ恐怖を植え付ける物語ではない。
そうした強い関係性を持つ人や場所。距離感をもって物語という総合的な形で受け取る。
私たちが心の中に位置付けることができない、喜怒哀楽のような4分類では命名できない複雑な感情の総体に居場所を与える。心に豊かさを付与する栄養源へと変容させる。
心の中に位置付けられた物語は、何か類似のケースに私たちが出会ったとき、免疫細胞のように自律的に働き始め、私たちを一面的ではなく多面的な視点で見るように心の視座を移動させてくれる。それは魂の防御でもあり、自己治療でもありる。
こうしたことは、物語の体験でしか得られないこと。
演劇は目の前で生身の肉体をもって人たちの息づかいと共に物語を受け取る神聖なる儀式のようなもの。演劇体験は時に儀式にまで次元が上がり昇華される。魂の水路。
前川さんの作品は、確かにハイコンテクストだ。あらゆる物語の構造が網目となっている。単純なストーリーは爆発的にヒットするかもしれないけれど、その賞味期限は短く、すぐに消費され忘れ去られる。確かにそれも必要かもしれない。でも、私は前川さんのような視座を持って怪談も異界も見る眼差し、それは生も死も等価な世界として、重みづけをせず、そこで行き来している「いのち」の存在を感じるために、前川作品のような重層性が必要になると思う。今回素晴らしかったのは、古典作品へのリスペクトと共に現代演劇と接続させる緻密な時計職人のような物語構成があったことだ。
怪談は怖い怖い・・と、ただ恐怖を感じさせるためだけに作られたメディアにだまされないように。
怪談話にある深い慈愛や命への眼差し。そうしたものを今回の作品からしっかりと受け取れると思う。偏見から自由になるために。俳優たちの演技のうまさが、そうした前川さんの思いを見事に結晶化させていたことも流石というしかない。
前川さんは、村上春樹に匹敵する劇作家だと思う。ぜひ見たことがない人は演劇空間で体感してほしい。
東京公演もあとわずか。次は大阪公演もあります。ぜひ。
[東京公演]8月9日(金) ~ 9月1日(日) 東京芸術劇場シアターイースト
[大阪公演]9月5日(木) ~8日(日) ABCホール
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イキウメ
奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話
[原作] 小泉八雲
[脚本・演出] 前川知大
[出演] 浜田信也 安井順平 盛 隆二 森下 創 大窪人衛 /
松岡依都美 生越千晴 平井珠生
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怪談が私たちを惹きつけるのは、何故だろう。
怪談は不思議なことが起こるものだ。
私たちの日常では起こり得ないできごと。
日常という枠組みを超えるできごと。
私たちはこの枠組みを少し、窮屈に感じている。
それを壊してくれるのが楽しいのだろう。
現実をぶち壊せ、見えるものがすべてじゃない。
怪談はアナーキーだ。
そして私たちは心のどこかで、
本当に日常の枠組みを超えた何かが存在することを信じている。
怪談はその真実にも触れてくれる。
ここではないどこかや、なにか大きな存在を感じさせる。
怪談は怖いだけでなく、畏怖を呼び起こす。
そしてその畏怖は、どこか安心をもたらす。
ここではないどこかがある、そう信じることができる。
日常を、苦しみの中にいる人にとっては避難所となるのだ。
怪談は優しい。
日常が揺らぎ、傾いている今、八雲の怪談は私たちに何を語りかけるだろう。
前川知大(脚本・演出)
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