共に育て共に味わう
稲刈り手伝いの末席に。
機械故障のため、カマを片手に人力で。
いまは機械で稲刈りをするのでしょうが、昔は人力が当たり前。
季節は待ってくれないから、自然の変化に応じて短期間で人手がいる。だからこそ近くに暮らしている人たちが総出で手伝い、収穫を祝い、食も苦労も喜びも分け合う。それは共同社会の基礎ともなり、安全や安心にもつながる。
なんと自然なあり方でしょう。食べることを通じて人が自然につながる。
もちろん、そうした村共同体の欠点としては、無言の場の力が強すぎると個人の自由が圧殺されることもあったのかもしれない。
だからこそ、都市生活と田舎生活、脳化社会と自然界との最適なバランスを目指し、いろいろな場所で挑戦し続けているのだと思う。
ただ、長所と短所をどう天秤にかけても、住んでいる人たちが力を分け合い、手伝い合う、という形を目指すことは、いいことの方が多いと、思います。
改めて、苦労してお米をつくってくれている農家の人たちへの感謝の念も湧きますし。
お金を払うだけだと、途中のあらゆるプロセスが本当にわからなくなるもので。
少年たちが自分たちで火をつけてお米を炊いている後姿もうつくしく、たのもしく。
使ったことのない筋肉を使い、全身の節々が声をあげていますが。
秋野菜のために蒔いた種も、畑からも芽が出ていて、ほっと一安心。
こういう場づくりを、軽井沢で長く続けている五井野さん(軽井沢での住まいの大家さんでもあり!)は改めてすごいなぁ!
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