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唇・口という「入り口」

感染症の感染経路に関して。


コロナウイルスに限らず、細菌やウイルスなどの異物は、口を「入り口」として感染してくる。


「入口」「出口」という言葉の中に「口」が入り込んでいるくらい、口こそが外界に開いた窓だ。ちなみに、体の「出口」は肛門で、人体は口と肛門を介して内臓が外に開いた構造をしている。マスクをつけると(ある程度は)「口」からの感染防御ができるのはそのためだ。

(ある程度)と書いたのは、マスクは大まかにしか口を防御していなから。


人は口から食べ物を取らざるを得ないので、かならず口は開く。そこが感染経路になる。そして、たいていは人間の無意識の行動こそが、感染経路になっている。明らかな咳やくしゃみは目立つので防ぎやすいが、自分自身の無意識の行為は死角になる。

いつのまにか、手を口に持っていく。いつのまにか、手で口に触れる。

多くの人はほぼ無意識の動作になっているので自身でも気がつかない。


だから、手をよく洗う、ことは感染防御の基本のキで、その上で自分の無意識の身体の動きを意識化するのが、今という時期に大切なことだ。


そうして、手のしぐさ、ジェスチャー含めて、自分の無意識の動き(や相手の無意識の動き)を意識化してみると、いろいろとおかしく奇妙だな、と思う動きも多い。「からだ」のことを「あたま」はほとんど知らないからだ。脱線するが、心揺さぶられるダンスは、こうした動きを増幅させることで、無意識の通路を介してお互いの身体を同期させているような気もする。

そうした身体言語、無視域の自分の身体に対して、意識を向ける、というのは感染防御の面でも大事なのだ。








 


ところで、口には唇があるが、体の「入り口」の象徴としての唇をちゃんと観察したことがあるだろうか?


「ほ乳類」の中でも、「唇」を持つのは、実は人類だけなのだ。

サルでもチンパンジーでもゴリラでも、よく見ると「唇」は持っていない。


そして、人類に特有の唇は、皮膚(外胚葉)からできるのではなくて、内臓(内胚葉)の一部としてできる。


つまり、口の中の粘膜(それは胃や腸からお尻まで切れ目なくつながっている)が、表面にめくれあがって厚ぼったくなったのが、唇という場所だ。

だからこそ、唇は肌色ではなくて、内臓のように赤い不思議な色をしている。

改めてまじまじと自分の唇を観察していただきたい。

唇という場所だけが持つ特殊な素材感や色感の特殊さに、改めて気づくことだろう。これはまさに内臓の質感なのだ。


人類が唇を持ったことで、弱い存在である赤ん坊(人間の原点)のとき、母親の乳房に食らいつき、空気の漏れがない吸い付きができるようになった。唇で乳房をくわえ、舌をピストン運動のように動かし、口の中に陰圧をつくり、生命線であるお乳を吸い出すことができる。そのため、口の周りには口輪筋や頬筋が存在し、吸い付く動作のサポートをしている。


人類だけが持つ「唇」は、生き延びるためにそうして進化してできあがってきた。


もちろん、唇が内臓由来であると書いたように、唇から口以降は内臓そのもので、口をあけると内臓世界の一端が露出して見えるだろう。


ウイルスや細菌も、口から食道を介して胃の中に入れば、そこは強酸性の世界なので多くの細菌は生きることができない(食事は異物を取り入れる果てしないプロセスだから、そうして細菌を防御する生命の知恵が備わっている)。

うがい(外に出す)だけではなく、熱い緑茶を飲む(胃酸に浸す)ことも感染防御に有効だ、という話が出てくる(実際、自分は緑茶を頻繁に飲むようにしている)。


ただ、異物が口から食道や胃ではなく気道や肺の中へと入ると、そこは防御機構が薄く、ある程度の被害は避けられない。(もちろん、その時でもいのちを守るために、免疫細胞は必死に体を守ってくれている)


今は、わたしたちの「口」が普段どのように外界に開いているのか、と、自分の体を知る時期だと思う。


そうして「唇」や「口」に意識を働かせると、外界以上に、自分自身に対して敏感で繊細になる。


結局、ウイルス感染を防ぐことは、自分を知ることに通じているのではないかと思う。







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