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小松左京と三島由紀夫を想う


SF作家の巨匠、小松左京の『復活の日』。1964年作。

この作品の中に、遺伝情報だけが『増殖する化学物質』(空気感染・致死率100パーセント!)という存在が出てきて、世界を覆う。





小松左京は、まさにウイルスの存在を予言していた。

実際、ウイロイド(ウイルスは蛋白質でできた殻で覆われているが、ウイロイドは殻がないものを指す。短い環状の一本鎖RNAだけ)の存在が確認されたのは、1971年の「ジャガイモやせいもウイロイド 」。小松左京の『復活の日』から7年後のこと。

SF作家は常に先を読みながら危機を回避しようとしている存在だともいえる。

現在を過去の結果として見るのではなく、未来への準備として見ることは、医療現場でも大事なことなのだ。



小松左京は、破局を設定するこで、はじめて人間(人類)やモラルや社会システムや文明や歴史が、「この世界の総体」として問題にされると言っていた。

「世界が全貌を現すのは、総体的に否定される時だ」と。



『日本沈没』(1973年)を書いたのも、「破局」を設定することで、戦後日本社会の「総体」をあぶり出したかった、とどこかで述べていた。




これは、まさにコロナ禍で、人工社会の総体や全体の脆弱性や不完全さが表に出てきたことと同じではないだろうか。自分も、今の事態を未来への準備として受け止めている。

コロナ禍の対応をしていると、小松左京『復活の日』(1964年)の内容が頭に浮かんでは消える。




 


三島由紀夫は1970年11月25日に自害し、その50年後にあたる今、その特集がところどころで行われている。

三島さんが「死して成れ」(ゲーテ『西東詩集』)として、未来へ示したかった行為は、日本社会や歴史の総体や全体そのものじゃなかったのかな。




美術家の横尾忠則さんと話した時にも三島さんの話になった。むしろ、自分が積極的に聞いた。生存親しかったことを知っていたから。

横尾さんは、三島さんは巨人であり霊人であって、ほとんどの知識人が三島由紀夫の巨大さ、霊的世界も含めた巨大さをまったく扱いきれておらず、自分の理解の範囲内で押しこめようとしている、とおっしゃっていた。まったく理解者がいなくて残念だ、とも。








自分も同感だ。

三島由紀夫の文章を読むと、日本語という言語を完璧に呼吸するように扱い、底知れない抽象度の高さでこの世界を冷徹に観察し、記述していた人物だと分かる。

彼の自害の意味は、そう簡単に理解できないくらい、巨大で深い射程を持ったものだ、と。




小松左京の世界や、三島由紀夫の世界を読んでいると、この人たちを自分という狭い枠内で理解しようとするよりも、まず自分の狭い自我を放棄して、彼らの世界に身を浸し、時を経て発酵させ発芽させるようにして、特殊な通路を介して受け取るしかないのでは、とすら思う。



大学生のころ、三島由紀夫作品に傾倒した。ほとんど内容を覚えてないが、日本語・思考・表現・・・・あらゆる意味での「深さ」を体験した記憶は残っている。


「豊饒の海 最終巻 天人五衰」の最後の原稿が新潮社に届いたのは、自決した日だった。そのことを知り、「豊饒の海」読後に呆然として、目の前に三島由紀夫が立っているようなリアルな感覚があった。自分の両足が氷のように冷たくなったので、今でも強く体が記憶している。





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