横尾忠則さんのアトリエにて 人間の霊性について
横尾忠則さんのアトリエにて。
2人で7時間近くも話す。
横尾さんへの礼節として、イッセイミヤケの横尾忠則ジャケットにて。
7時間も話していたのは、特に雑誌の対談企画とかではなく、ただ話しましょう、と話した内容でもある。
多くは人間の霊性に関する話。
その中で、こうした話を交わした。
人間は死ぬと、すべての地位や名誉や所有物は剥奪されて丸裸になる。
残るのはその人自身であり、霊性である。
現世の成果物はすべて意味がなく、それは現世の中で霊性を向上するためのプロセスに過ぎない。
生きていると、あらゆる形で誘惑が起こる。
これで有名になれる、これでいい気持ちになれる、こんな肩書をもらえると嬉しい、チヤホヤされる、、、など。
ただ、それはすべて外にあるものであり、いづれ奪われる。
残り続けるのは内部にある霊性だけだ。
だからこそ、立ち止まり、自分の霊性を高めるために受けるべき仕事なのか案件なのか、よく考える必要がある。多くの人は勘違いしている。わたしも何度も危ない目に遭いそうになったが回避した。今こうして絵を描き続けていることに幸福を感じる。
芸術は霊性のためにある。知性のためではなく。
現世で世間に受ける仕事をしたり、地位を得ることは、ある程度の技術や運や処世術があればできることだ。
ただ、それは本当に自分の霊性の向上に役立つのか、死んだら奪われるもののために大事な人生を使うのか、立ち止まって考えてみる必要がある。自分の内部の魂がYESと言えば、進めばいい。
そこで魂の声が現れる。
わたしの判断基準はすべてそこにある。
今の美術界は、あまりにもそうした魂や霊性のことを軽視している。
あなたは霊性や魂のことを深め、理解している。それこそが生きる上で最も重要なことなのだ。芸術の核心にもあるものだ。
死しても人間は生きる。そこで残るものは何なのか。
そのことを考えて生きて行く必要がある。
頭は嘘をつけても、霊性は隠せないのだ。
・・・・
わたしは、横尾さんのような現世の世界での天才、スーパースターの人であっても、こうした考えのもとで、創作を続けていることに感動した。
それならば、私のような人間はどれほど謙虚に礼節を持って生きて行かなければいけないのだろうかと。
頭で隠せる嘘はすべていがづれ丸裸になるとすれば、常にそうした前提で生きていくことこそが、自分自身を育てる生き方になるのだろうと。そして、そのことこそが霊性と言われる闇を照らす光になるのだ、と。
86歳となった今でも100号近くの大作を描き続け、文章も書き続けている。
難聴となり、話をすることが難しくても、何か重要なものを次の世代に伝えようとしている。わたしのような人間にも、絵を描くことを休めて、重要なことを伝えようとしている。あくまでも対等な立場で礼節を保ちながら。
いのちは生死が一体になった概念であり、いのちを考えることは生を考えることであり、同時に死を考え、自分なりに深め育てていくことであると思う。
突発的な感情の動揺に動かされないよう、常日頃から、自身のいのちを育み、人間の霊性を考えて生きていくことに無駄なことは何一つないものだ。
Comments