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終戦記念日 無言館

終戦記念日で思い出すこと。


大学生の時に行った、鹿児島の知覧特攻平和会館

当時、バスで行ったら2時間くらいバスが来ず、バス停で座って待った。あの待った時間の中で、何かが自分の中で発酵したんだろう、と。


中学の修学旅行で行った長崎の平和公園と、大学卒業時に行った、広島平和記念資料館。

当時と現在の土地の様子の違いに、驚いた。

土地に道路や建物などの人工物を重ねていけば、こんなにも風景が変わるものかと。

過去の記憶は、隠れていき、隠されて行き、自分で掘り起こす胆力がなければ、本質的な場所へは辿りつけないのだろう、と。



妻と行った上田の無言館

無言館は、戦没画学生慰霊美術館とも書いてある。

戦争で命を落とした若き芸術家たちの自画像や風景描写が淡々と飾られている。


無言館の絵のすごさは、あの辛い戦争の時代に、家族を描き、風景を描き、自分を描き、裸婦像を描く、という、今となっては当たり前のように行為自体が、当時、とびっきりの前衛でとびっきりの反戦行為であるという事実の重み。絵の中に込められた無限のメッセージが螺旋の渦のように迫ってきて、胸が痛んだ。

この痛みこそが、絵から受け取る具体的な身体性でもあるのだろう。


先週のNHK日曜美術館は、無言館の特集だった。

「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」

見逃し配信あるようですので、ぜひ見ていただきたい。

絵を描くという純粋な行為、生きる行為の重みが、圧倒的です。

そして、いのちをかけて絵の修復をするアトリエ山領の山領まりさん。



ちなみに、館長の窪島誠一郎さんは、公的な助成金を一切拒んでいる方です。

公的なお金を一円でももらったら、自分が好きなように展示ができなくなると、笑っておっしゃった。


美術館運営の金銭面に困窮しながらも、こうして個を貫き、自由を貫き、何かを守り続けている美術館の館長も、稀有な方。

窪島さんの美術への熱い思いも含め、無言館に足を運んでほしいです。


この場に行く度、紀貫之が『古今和歌集 仮名序』にて、和歌には「あめつちをうごかす」聖なる力が宿っていて、

それが発揮されると、様々のものやことは感応し、動かされる。と記されている。

一枚の絵にも、そういう聖なる力が宿っているのだろうと、思います。


郡山市立美術館でも、「無言館展 遺された絵画からのメッセージ」(2021年6月19日(土)―2021年8月29日(日))が開催されているようですので、お近くの方はぜひ。











長野県上田市古安曽 山王山3462



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700点を超える戦没画学生の遺作を所蔵する『無言館』。館長窪島誠一郎(78)が収集をはじめたのは、戦争の記憶の風化が叫ばれた戦後50年1995年のことだった。半世紀の時を越え、若き画家たちの作品と出会った瞬間の衝撃。そこには50年の歳月の重みがあった。絵の中に込められた“熱き思い”と半世紀という時間の中で確実に劣化していく絵の運命。そのリアルを伝えるか。修復家山領まりと窪島誠一郎の戦いを見つめる。






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