誕生体験の内省日
今日は自分の誕生日です。42回目です。無事此処まで生きてこれました。
朝PCを空けて、みなさまから個人メッセージを多数頂き感動しております。
おめでとうと言われる前に、ありがとうと自分から言おうと思い、書きます。
自分は、誕生日は「人に祝ってもらう日」というよりも、「自分が生まれたことを、周囲に感謝する日」だとも思っています。
受け身な一日と言うより、能動的な一日として。
誕生は、受け身でありながら同時にいのちの能動的な現象であると、自分は感じているからです。
忘れがちになる「誕生体験」そのものを、少なくとも年に1回は思い出させてくれる内省的な日として。いのちの受胎を外界に表現する日として。
みなさんとの出会いも、生まれて生きているからこそ、ですので。本当に感謝です。
生をつないでくれた自分の両親と家族に感謝します。
この世界に顕現してくることは、それだけで大きな意味があり、表現です。
生と死とは、見える世界と見えない世界とを往復運動している点滅現象に過ぎないのかもしれません。
ただ、そうした自然の神秘現象のピースのひとつを大河の一滴として構成しているだけでも、かけがえのないことでもあり。
自分がこの世に生を受けた理由を日々自分の内なる声に問い直し、外からやってくる現象は啓示とみなし、日々の現象を存分に味わいながら、感謝を忘れず今年も精進します。
生きていると色々なこともありますが、そのことも生きているがゆえ、です。
自分の運命にイエスと言う。
これからもよろしくお願いします。
誕生日、子どもの鈴木メソードのバイオリン練習の付き添い。
軽井沢教会に掲示されていた聖句。
「光の子として歩みなさい。」
(エフェソの信徒への手紙 5章8節b)
1月の聖句
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